通常そばを練るときには、水を使用するのですが、その水のかわりに「お酒」を使って練ったのが、 当店自慢の酒そばです!
お酒は富山で人気の地酒を使っています!
お酒の風味と香りが、 そば本来の風味と香りにからみあい、今までにないおいしいおそばができあがりました!
そば通、お酒通と呼ばれる方の中には、そばを食べ終わった後に
「残ったそばつゆに酒を少し足して飲む」のが最大の楽しみといいますよね。
まさしくお酒好きの方には、もう「たまりませ~ん!」っておいしさです♪
でも、お酒の苦手な方でもご安心くださいね! アルコール成分はそばを茹でた時にほとんど飛んじゃいますから、 お子様でも安心して食べられますよ!
(※但し、アルコールに弱い体質の方や小さなお子様はご注意ください。)
そばを茹でたあとのそば湯は ほのかなお酒の香りと旨味がでており、 それはそれはえもいわれぬおいしさ!
そばのお味から、香り、はたまたそば湯まで、 全てがたまらなぁ~いのが酒そばです♪
いつもの「そば」とは違う、ちょっとリッチなひと時を「酒そば」でお楽しみください♪
★これは珍しい!ひそかな噂を呼んでいる★こだわり酒そば
当店売れ筋NO1がこの「こだわり酒そば」です!
「こだわり酒そば」は、その名のとおり、
原材料にこだわり、厳選した、国産の原材料を使用しています!
■こだわり・その1:そば粉■
そば粉は、日本有数のそば処信州・安曇野(あずみの)産のそば粉を、 石臼にて、丁寧に、丁寧に、粗挽きしたものを使用しています。
北アルプス山麓長野県安曇野市一帯の地域は、 名水百選「安曇野わさび田湧水群」で知られる日本有数の名水の土地です。
清らかでミネラルが豊富な水によって、味も香りも素晴らしいそばが育まれます。
■こだわり・その2:製法
このそばの味と香りを最大限引き出すため、 製法にもこだわっています♪
そばの実を製粉する際、これまでの方法ですと、 機械製粉のためかなりの熱が発生し、 そば本来の香りが失われてしまいます。
昔ながらの石臼を使ってゆっくりと、丁寧に、丁寧に、挽くことによって、 そばの実の甘皮と呼ばれる部分をも一緒に挽きくるんだ、 そば本来の香り一杯の粗引きの「そば粉」にしています。
■こだわり・その3:小麦粉
小麦粉は北海道の大地が、育んだ小麦粉を使用しています!
北海道産小麦の特徴は、風味がよく、 その豊で広大な大陸同様、豊かな味わいを大切にし、そばの風味を最大限に生かす粉です。
■こだわり・その4:お酒
地元富山で人気の地酒を使用しています。
富山県は、三方を北アルプス立山連峰などの、山岳地帯に囲まれており、 中央には実り豊かな平野が広がっています。
富山湾、日本海へと開けている天然の巨大ダムともいえる山々からは、 一年を通じて豊かで、清らかな水が生まれるんです!
豊かな大地と清らかな水に育まれた米どころ富山は、日本でも有数の酒どころでもあります。
酒そば本舗の酒そばは、富山で人気の地酒を使用しています。
2019年01月31日
記念硬貨PART2
2020年東京五輪・パラリンピックの記念硬貨が発行されているとは知りませんでした。500円硬貨と100円硬貨それぞれ数種類ずつ4回に分けて発行されるのだとか。すでに第1次分は発行済みで、今回の発行は第2次分になるということです。
すでに発行された分は仕方ないとして、せめて2次分から購入しようかなと思って、第1次発行分について調べてみると、発行されるのは1万円金貨、千円銀貨、それに百円がクラッド貨幣とありました。金貨・銀貨はわかりますがクラッド貨幣って聞きなれない用語ですよね。材質は銅87.5%、ニッケル12.5%からなる合金だそうです。
・・・なんだ、そうすれば、金・銀・銅ってメダルと同じじゃないか。(笑!
それで販売価格はいくらなんだろう?
・・・えっ?1万円金貨が12万円、千円銀貨が9500円となっていますよ。100円硬貨の価格は明記されていないところをみると、額面どおり100円ということなのでしょうか?
以前、たまたま偶然に釣銭で皇太子殿下ご成婚記念500円硬貨をもらったことはありましたが・・・。100円硬貨は流通用に使用する人がいたとしても、1万円金貨と千円銀貨を貨幣本来の目的で使用しようというバカいませんよね。
なるほどそういう次第なら、100円硬貨のみに狙いを定めて、これから釣銭をこまめにチェックするとしましょうか?
・・・気の長い話だな。(笑!
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2019年01月30日
「ボンタン湯」
突然ですが、皆さんは"ボンタン"ってご存知でしょうか?
・・・はて?ポンカンなら食べたこともありますので、承知していましたが、ボンタンとは初耳です。
実が直径20センチ、重さ1キロにもなる柑橘類ということですから、もはやミカンのイメージを逸脱していますね。鹿児島県阿久根市の特産品だそうです。
以前、晩白柚(ばんぺいゆ)という品種のゆずを湯舟に浮かべたビックサイズのゆず湯の話題をお届けしましたが、この晩白柚も熊本産でしたから、九州地方では大きな果実を結ぶ柑橘類が多く栽培されているのでしょうか。
やはり晩白柚(ばんぺいゆ)同様に、ボンタンも湯舟に浮かべて香りを楽しむのに使用するということです。
ウエブトピックスより、ざぼん ざぶん 銭湯を“席巻”
1キロにもなる果実ですから、家庭の風呂ならボンタン1個浮かべれば十分でしょう。わが家でも、ボンタンを浮かべた「ボンタン湯」を味わってみたいです♪
生産農家は、特産のボンタンの知名度向上を目指し、果実の購入とボンタン湯の開催を全国の銭湯に働き掛けているということですが、個人にもボンタンを分けてもらうことは出来ないものですかね。
インターネットを通して販売されれば、私が購入者第1号になりましょう。(笑!
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2019年01月29日
はたして「富士は日本一の山」か?
あたまを雲の 上に出し
四方の山を 見おろして
かみなりさまを 下に聞く
富士は日本一の山
日本人なら誰しも口ずさむことができる文部省唱歌「ふじの山」です。ところがその富士山が日本一の山ではなかったと言えば、誰しもそんな馬鹿なと思われることでしょう。
少し古くなりますが、2013年5月2日の日経コラム"春秋"を読むと、この歌が発表された1911年当時は、富士山は日本一の山ではなかったと書かれています。
真相はこうです。皆さんは「新高山」をご存知でしょうか?ご存じない人でも「ニイタカヤマノボレ一ニ〇八」は聞いたことはあるでしょう。
台湾の中央を南北に走る山脈の中南部に位置する「玉山」の標高は3,952m。「ふじの山」が尋常小学唱歌に載った1911年(明治44年)当時、台湾は日本領であったことから、標高3,776mの富士山は2番目に高い山であったというのが、コラム氏の茶目っ気たっぷりの主張。
日本統治時代に明治天皇により富士山よりも高い「新しい日本最高峰」の山という意味で、「新高山」と名づけられたというおまけまでついていました。
明治帝が新高山を「新しい日本最高峰の山」とおっしゃられたにもかかわらず、富士山が日本一の山であり続けたのは、日本人の心の中に昔も今も流麗にそびえ立ち続けているからと言えましょう。
ちなみに我が郷土富山県を代表する民謡・越中おわら節の合いの手(囃し)にも、富士山が出て来ます。
越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山 三国一だよ
ここでも富士山は日本一だと言っていますね。郷土の立山を自慢しながらも、富士山は別格であると褒めるているところに、奥ゆかしい越中人の気質を見ることが出来ます。
ことほどさように日本人なら、富士山には切っても切れない格別の思いがあるといえましょう。
さて歴史を遡ると、下関講和会議により、台湾が日本に割譲されたのが1895年(明治28年)のこと。そしてこの唱歌が発表される前年の1910年(明治43年)には、日本は韓国を併合しています。
当時台湾や韓国でも日本と同じ教育制がを引かれたわけだから、この文部省唱歌「ふじの山」は、台湾や韓国の子どもたちも尋常小学校で歌った(あるいは歌わされた)と想像されます。
我々は何の違和感もなく、「富士は日本一の山」と声を揃えますが、当時の台湾や韓国の人たちはどのような気持ちでこの歌を歌ったことだろうか。今日ただ今のわが国とお隣の友好国・韓国のぎくしゃくした関係を思うとき、暗い気持ちに心が沈みます。
富士山も 玉山も 白頭山も 三国一だよ
こんな合いの手を入れたいものです。
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2019年01月27日
月震
昨日熊本県で震度5の強い地震があったと報じられています。今月3日にも震度6の地震があったばかり。3年前の熊本大地震の余震が今も続いているということでしょうか。
地震の怖さは改めて言うに及びませんね。何しろ自分が立っている大地が震えるのですから、逃げようがない。そしてそれがいつどこでどのくらいの規模で起こるのか分からないのですから、始末におえない。
さて、今私は大地が震えると言いましたが、文字どおり地球が震えるから"地震"と書くのでしょう。ところでその地球の周りを回っている月にも地震があるってこと、皆さんはご存知でしたでしょうか?
トピックスより、月震とは月で起きている地震
月に地震があるってことにも驚きましたが、それを「月震」と呼ぶってことにもビックリ。
NASAが実施したアポロ計画で、月にはすでに4台の地震計が設置されているのだとか。その観測によると、多くの月震は地下(月の地震のことを月震と呼ぶなら、月下と書くべきではないか?・・・笑!)900kmに震源が集中していると。
地球の地震の震源がせいぜい地下100kmい比べて、月震はずっと深いところで起こっていることがわかります。プレート運動や火山活動のない小さく冷えた天体である月の地下で何が起きているのか?月の内部構造や起源とも関係し、注目されているのだということです。
「月震」と聞けばなぜか浪漫が駆り立てられますが、「地震」と書けば知らず身構えてしまうのは、地球に生きるものの宿命と言わなければならないのかも知れません。
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2019年01月26日
「冬来りなば春遠からじ」
今冬は比較的温暖な日が続き、当地北陸富山でもまとまった降雪がなく、昨冬のように毎日雪かきに追われるということもありません。
昨日(1月25日)の天気予報では、26日から27日にかけてこの冬一番の寒気が日本列島上空に南下して冬型の気圧配置が強まり、北陸の山沿いでは60センチから80センチの降雪が予想されるということでしたので、今朝は気を引き締めて玄関の戸をそろりと開けたのでしたが。
・・・降るには降ったようですね。
しかし、せいぜいで15センチくらいでしょうか。このくらいの雪でしたら、当地では降ったとは言いません。
今朝もそうでしたが、今冬は除雪車も一度も出動していないようです。
ウエブトピックスより、「桜ひらり、春さきどり」というキャプションが目にとまりました。
同時に配信されている写真をみると、花見を楽しむ若い親子連れ3人の微笑ましい姿が写っています。
当地ではいかに雪が少ないとはいうものの、さすがに「桜ひらり」どころか「梅かおる」ということさえまだ先のこと。
そんな気の早い、いったいどこのことかと思えば、さもあらん。沖縄県名護市で、26日より「名護さくら祭り」が開催されるという話題でした。
「冬来りなば春遠からじ」
この成語ほど我々雪国に住む者を勇気づけてくれる言葉はないと言えましょう。じっと春の到来を待つとしましょうか。
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2019年01月25日
行司(sumo referee )
大相撲初場所、昨日が12日目。この日横綱白鳳が2連敗して、俄かに優勝の行方が混とんとして来ました。
その相撲ですが、力士が土俵上で行うさまざまな所作など、外国人の目には奇異に映るようです。外国人が相撲を見て混乱する要因の一つは、伝統的な装束に身を固め力士の立会いを務める行司にあるのではないかと、俄か比較スポーツ文化評論家( → 私のことです)は考えています。
スポーツには一般にレフェリーと呼ばれる審判がつきもの。主審一人と複数の副審(競技によっては線審)から構成されることが多いですが、いずれにしても判定は主審に絶対の権限があるのは言うまでもありません。
古い話で恐縮ですが、日本のプロ野球でこんなことがありました。「そんな判定ルールブックのどこに書いてある」と迫られた審判が、「俺がルールブックだ」と言ったとか。
そこで大相撲に戻ります。相撲の行司を英語に訳せば、「sumo referee 」となります。「referee」というからには、勝負の判定(judgment)を下す審判となりましょう。
ところが行司の下した判定は絶対ではありませんね。「物言い」をつける審判が土俵の砂被りに5人もいる。土俵上に上がって行司も含めて6人で協議をし出す。
「ただいまの協議についてご説明いたします。行司軍配は西方○○山の寄りを有利とみて、○○山に挙げましたが・・・同体ではないかと物言いがつき、・・・協議の結果取り直しとします」
と審判長が場内に説明をして、歓声がワーッと上がるということしばしばありますね。
審判長というくらいだから、英語で言えば「main referee」とか「chief referee」になるのでしょう。ならば土俵上で派手な衣装で「のこった、のこった」と叫びながら動き回る行司は、どういう「referee」になるのだろうということになります。
勝ち負けを判定するのではなく、「同体」という判定もまったく相撲ならではのもの、外国人には奇異に映るに違いありません。
立行司格にもなると、腰に脇差をおびることがゆるされますが、これは下した判定が行司の差し違えとなった場合、これで自らの命を絶つためであるとも伝えられています。いわば命をかけて判定を下す役割を担っているというのに、土俵上の行司(sumo referee )の他に、別に審判(referee)が土俵下に5人もいて、自分が下した判定に異議を唱えるというのは、行司は割に合わない「referee」だなと思いませんか?
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2019年01月24日
ハイブリッド帆船
大航海時代の再来を思わせる船舶の新しい技術開発が進められているというニュース。
帆とエンジンのハイブリッド、次世代帆船開発中
世はまさにハイブリッドエンジンが脚光を浴びる時代。街中を走る車を見てもずいぶんハイブリッドエンジンを搭載したタイプのものが多くなりましたね。車がそうなら船にも同じことが出来ると考えるのが自然。太陽電池パネルを甲板に敷き詰めた船かと思いきや、これが帆船だということです。
帆は帆でも高さ50メートル、幅20メートル、厚さ4メートルにも及ぶ強化プラスチック製の帆で、船の推進力を高める帆の角度は、コンピューターで自動調整ができ、しかも天候に応じて5段階に伸縮可能というすぐれもの。・・・なるほどハイブリッドな帆船ですね。
・・・帆船というだけで、なにかロマンの香りが漂って来ませんか?
やがて確実にハイブリッド帆船が太平洋や大西洋を行き来する時代がやって来るに違いないでしょう。
ハイブリッド帆船が実用化されたなら、ぜひ一度乗船してみたみたいものです。きっとかっての大航海時代の船乗りの気持ちが味わえるのじゃないかと思ったりしています。
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2019年01月23日
人は季節を忘れても・・・。
温かい穏やかな正月を迎えることが出来た今冬。昨年の今ごろは深い雪に閉ざされ、毎日雪かきに追われていたことを思えば、夢のようです。
当地北陸富山では、この時期毎朝雪がどのくらい積もっているか恐る恐る玄関の戸を開けるのが常ですが、今年はためらわず短靴を履いて玄関を飛び出しています。
その玄関脇の植え込みに、寒椿の花が一輪開いているのに気づきました。
温かい冬に人は季節を忘れても、自然は季節を忘れることなくこうやって寒椿に花をつけてくれるのですね。
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2019年01月22日
昔千里も今一里
1月も22日となるとさすがに正月気分も抜けて、ただひたすら仕事モードという方がほとんでしょう。しかし、これから2月の中ごろまで仕事の関係先の新年会が開催されますよね。
「やあ、やあ、おめでとうございます」と言っては酒を注ぎ、「今年もよろしく」と言っては杯を空けるというわけです。
19日の土曜日夕方より、今年初めてとなる新年会がありました。私は会場設営の係りをおおせつかったので2時間ほど早く車で行くことに。・・・当然お酒は我慢と相成った次第です。(涙!
最後のお客様が気持ちよくお帰りになるのを見届けると、後は2次会担当係りに任せて、帰宅の途に着いたのでした。この調子なら家でご飯が食べられるかもしれない、そう思いながらしばらく走っていると、車が渋滞してきてまったく動かなくなった。土曜日だから夕方のラッシュはそんなに混まないはずなのに?
のろのろと車の流れに乗って富山大学の少し手前まで来て、混雑の理由が分かりました。センター試験を終えた受験生を迎えに来た親御さんが、車を脇に止めて子どもを待っているから渋滞していたいうわけです。
それなら腹ごしらえとラーメン屋に立ち寄りました。ご飯が食べたかったので、チャーハンとラーメン小盛りのセットを注文。ラーメンのスープは選べるというので豚骨醤油ラーメンにしました。
私が座ったボックス席の隣のテーブルには、人目受験生とその父親と思しき二人連れの先客がいた。一言もしゃべらず、ただラーメンをすする子ども。話しかけようと子どもの方を向いてはためらい、こちらもただラーメンをすする父親。私はその親御さんの気遣いがひしひしと感じられて、ラーメンを食べるどころではなかった。(笑!
それで今回はラーメンについてのコメントは出来ません。笑ってお許しください。(笑!
ところで20日と21日の朝刊各紙には、センター試験の問題と解答が掲載されています。「昔取った杵束」とばかりに、問題に少し目を通してみたのでしたが・・・。
回答らしきものが少しでも出せたのは、国語(現代文)、英語(発音、イントネーション)くらいのもの。かっては得意とした数学、物理、化学は、杵の重いこと重いこと。なんとか持ち上げてはみたものの、餅の上に落とせず、臼の淵を叩く始末。
「昔取った杵柄」とは、若い頃に身に付けた技量や腕前が衰えていないことを指す諺でしたよね。
・・・臼の淵を叩くようじゃ、いつまでたっても餅が仕上がらないじゃないか。(苦笑!
その昔千里を走ってさえ息の上がることもなかった駿馬も、今となっては一里もかなわず。ただ緩々として道端の草を食み、糞を垂れる駄馬となり果てたか。(涙!
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2019年01月21日
三浦雄一郎の陰に大城和恵あり
先日国際山岳医の大城和恵さんの話題を取り上げたところでした。三浦雄一郎の陰に大城和恵ありと。
その大城先生の判断に三浦さんが従われた。
ウエブトピックスより、
三浦雄一郎さん、アコンカグア登頂断念 下山開始
今回の三浦さんの健康状態について、「心臓や肺は並みの86歳より悪い」という大城先生の見立ては、驚き以外の何物でもありませんでした。そんな健康に不安を持つ高齢者が、6900メートルの山に挑めるのかと。
それと同時に「私が三浦さんを生きて日本に連れ戻す」の大城先生の覚悟、これにも深く心を打たれます。
その一方で、三浦さんの登頂にかける執念をいやというほど知っている大城先生だけに、「この標高は生物学的に86歳の限界。生きて還(かえ)るために、きょう下りる」という判断は、大変辛く苦しいものだったでしょうね。
医師としてとして登山家として勇気ある大城先生の決断。そしてそれに諾と答えた三浦さん。
これぞ登山家の中の登山家。あっぱれ!お二人に拍手喝采を送ります。
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2019年01月20日
「遊遊漢字学」が楽しみ♪ PART64「庚申(こうしん)」
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。
今週阿辻先生が取り上げた漢字は「庚申(こうしん)」でしたが、この漢字二文字からなる言葉もさることながら、私にとって書かれている内容すべてが耳新しいものでした。
まず、人の体内には三匹のけしからん虫が住みついているっていうこと、皆さんご存知でしたか?
はて・・・?子どものころ、カイチュウに寄生されたことは一度ありましたが、虫下しを飲んで駆除して以来、私の体内に虫が住みついているということはありませんが。(笑!
中国の道教の教えによれば、人の体内には三匹のけしからん虫が住みついていて、「庚申」の夜になると、人が眠ったあと口から抜け出して天に昇り、天帝にその人の悪口を言って、再び戻ってくるのだそうな。
その前にまず「庚申」とは、甲・乙・丙で始まる「十干」の七番目の「庚(かのえ)」と、十二支の「申(さる)」とが組み合わさった日のこと。旧暦で60日に一度回ってくる。
天帝に己の悪口を告げられてはかなわないですよね。そこで昔の人はどうしたか?
眠ってしまうから、よからぬ虫が動き始めるのだろう、一晩中起きていればいいじゃないかというわけで、庚申の日になると仲間たちが一堂に集まって、徹夜で飲み食いして過ごしたというのです。
そしてその集まった場所のことをやがて「庚申堂」というようになったと。
まあ、道教、仏教、神道、さらには易、・・・もろもろのものが「庚申」に集約されているのでしょうね。
う~む、まあ私なんぞに言わせれば、「庚申」の複雑ないわれは別として、60日に一度などといわずに毎晩庚申堂に籠ってもいい。( ← イエローカード!・・・笑!
本稿の終わりに、阿辻先生は、飲み食いの他に徹夜で過ごす方法について言及しておられます。言わずとも知れよう、夫婦で朝まで布団の中でしっぽり過ごすことだと。しかしこの方法は、村の団結を乱すことになりかねないので、心しなければならないとも。
なるほど、夫婦仲は良くなっても、村八分にされちゃたまらんか?(笑!
室町時代に作られた辞書『下学集(かがくしゅう)』の「庚申」の項に、こんな記述があるのだとか。
「この夜夫婦婬を行えば、則ち其のはらむところの子必ず盗を作(な)す」
昔の人はいろいろ大変だったようだと。
ふ~む、なんとコメントしていいものやら・・・。
阿辻先生、私に関して言わせていただければ、私たち夫婦はそこまでしなくても十分仲が良いです。・・・っていうか、そんな徹夜でことに励むなんて、とてもムリ、ムリ。(大爆笑!
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2019年01月19日
核心的利益
人はパンのみに生きるにあらずと西洋の賢者は言ったのでしたが、食わなければ生きていけないのが凡人の悲しさ。
その食べ物も所変われば、品も変わろうというもの。そして人には好き嫌いがつきもの。さらに信じる宗教の教えには、口にしてはならぬものがあったりするから話は複雑になります。
食の大国中国では、おおよそ四足のもので口にしないのは、机くらいと言われていますね。かの国の国民の健啖ぶりにはまったく舌を巻きます。
その中国で犬肉・猫肉の食用を禁止する法律が施行されたのは2010年のことでしたが、何しろ数千年にわたって犬猫を食用にしてきた国ですから、法律が定められてから高々10年たらずで食習慣が変えられるわけがないのもわかるような気がします。
いまだに1万匹にものぼる犬が饗される「犬肉祭り」が開催されているのは、そのことを如実に物語っています。
そんな法律が定まろうがうわべだけのことで、今までどおりうまい物をうまく食ってどこが悪いか、お国が定める法律は破るためにあるくらいの勢い。動物を大切にするより、まず人を大切にしろ。我々は動物以上に抑圧されているではないかということらしい。
好きな物は好きに食って来たように、言いたいことも好き勝手に言わせてくれというわけですね。
「衣食足りて礼節を知る」はずのこの国であっても、やはり西洋の賢者の言葉は当たっていたということか・・・。
一方動物愛護団体からすれば、犬猫を食うとは言語道断。中国人はペットを殺して食べる野蛮な国民。ついでに鯨を獲る日本人も負けず劣らず野蛮人となるんですが、私にいわせれば牛や豚ならいいのか、ガチョウに無理やり餌を食わせて、大きくさせた肝臓だけ取り出して舌づつみを打つのは、立派な食文化といえるのか?
土地土地、そこに暮す民族各々に食文化があり、慣習があり宗教を持つのだから、人間が人間を食わない限ぎり、牛を食おうが嫌おうが、豚を食おうが嫌おうが、魚を生で食おうが焼いて食おうが、咎めだてはできないだろう。
どこで線引きをするかで天と地ほども開きができる問題を 自分の国の食習慣だけを基準に論ずるの愚を冒しているのが欧米の動物愛護団体といえないか?
ただあれだけ領土領海の問題については、自国の 核心的利益と声高に主張し国際世論に徹底反論する中国政府が、どうして4000年という長い歴史のある自国の食文化をいとも簡単に翻し、欧米の動物愛護団体の顔色をうかがうのか、鯨肉をどうしても食べたい私には理解できません。
2019年01月18日
寒もちの思い出
福井県勝山市平泉寺町で、昔ながらのかき餅作りが最盛期を迎えているという話題。
ウエブトピックスより、かき餅、古民家に5色「すだれ」
同時に配信されている写真をみると、なるほどこれは5色のすだれ。ヨモギで緑、桜エビで赤、ウコンで黄、古代米で紫に色付け。黒ゴマ入りの白、そして餅は有機栽培されたもち米を蒸しあげついたもの。
5色のすだれに囲まれた作業場の奥で、割烹着に姉さん被りをした女性が二人が作業をしておられますね。拝見したところ、姉さん被りをしてはおられますが、「姉さん」とは言いにくいお二人。(笑!
・・・母と祖母のことを思い出しますね。
私の生家でも年も押し迫ると、家族総出で餅をつき、お鏡もちは勿論のこと、必ずのし餅をたくさん作りましたね。のし餅が固くなってから、包丁で薄く切り、それを藁紐で編み込んでいき、振り分けにしてつるすと、このようなすだれになります。
わが家では、かき餅に黒豆と刻み昆布を入れましたから、2種類の黒白のまだら模様をしたすだれでした。
私も母の横に座り見様見真似でやってみるのでしたが、上手く餅を編み込んでいけず、編目からパラパラと外れ落ちてしまう。そのうち飽きてしまって、切り餅をカルタのようにして遊びだすと、さすがに母に叱られた。
「よしよし、それなら、まだ干せとらんけれど、コンモチ(寒もち)を焼いてやろうかいのぉ~」
祖母は、そういうと幼い私の手を引いて、いろり端まで行き、寒もちを焼いてくれたのでした。
乾燥が十分行き届いてない寒もちは焼いても中に芯が残っていて、これが食べ応えがあって、とてもおいしかった。
・・・祖母と寒もち。今でもその時の祖母の姿がありありと目に浮かびます。
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2019年01月16日
「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んべからず」
今年は暦の関係で、1月12日から14日の成人の日の祝日まで3連休となりました。全国の自治体では、この3連休の何れかの日に新成人を祝う式典を行ったようです。
・・・成人式、この齢にもなると、感慨深いものがありますな。
「人生が二度あれば~♪ この人生が二度あれば~♪」と絶唱したのは、井上陽水でしたね。
年老いた両親の姿に、人生のはかなさと悲哀を重ねあわせ、歌いあげた名曲です。この曲がヒットしたのは1980年代のことでした。陽水がまだ20代前半のころのことだったでしょうか。
さて、私はというと、私も青春を陽水の歌を聴いて過ごした世代ですから、言わずと知れた「人生が二度あれば」の響きを誰よりも切実に思う者の一人です。
「父は今年二月で六十五・・・」で始まるこの歌、なんとこの正月でその年を迎えることになったことに、私は感慨というよりも驚きを隠せません。
日経プラス・ワンより、
反省・後悔… 20歳だった私へ、伝えたいこと
ベスト5を抜書きしてみました。
1位 貯金をしよう 561ポイント
待ち受ける転機に備えるべし、「備えあれば憂いなし」だと。
2位 本当にやりたい仕事を 510ポイント
キャリアアップへ基礎力を養うべし、やりたい仕事がやれる幸せを知るべしと。
3位 勉強しよう 472ポイント
脳が若く、時間のあるうちに吸収すべしと。
4位 家族を大切にしよう 448ポイント
自分を思ってくれる親や祖父母ら家族がいつまでも健康で元気とは限らない。家庭を持って家族のありがたみがさらにわかると。
5位 役に立つ資格を取ろう 430ポイント
頑張って取得した資格が味方になって、収入や仕事への満足感が高まるのだと。
1位から5位までそれぞれそのとおりなのでしょうけれど、1位については事業を起せば貯めるのは10万、20万でも、往々にして2000万、3000万の支出に迫られることが多くあるのも世の常ということも知っておくべきだと言っておきたいです。だからこそ10万でも20万でも蓄えることが大事といえるかも知れませんが・・・。(苦笑!
2位については、働く時間を1日8時間としたならば、一日の1/3を費やす時間が楽しく充実することになりますから、こんな幸せなことはないですよね。まったくそのとおり!・・・しかし、大部分の人は大概20歳でやりたいと思ったことが、実はそうではなかったということを経験することになるようですが。
4位については言わずもがな。こんなことを20歳になって改めて心するようでは先が思いやられます。
5位については、確かに「芸は身を助く」と言いますからね。しかし、はっきり言って20歳でそんな保守に走ってどうすると言いたいです。「必要は発明の母」とも言いますね。必要に迫まられたときに必要なことを用意できる才を持ち合わせることが大事なのです。
さて最後に残った3位について、これこそ「人生が二度あれば」、20歳の自分に化粧箱に詰めて熨斗を掛けて贈りたい言葉です。・・・もっと勉強しておけばよかった。節にそう思います。
老婆心ながらつけ加えておきますが、勉強すれば良い学校に入れ、良い就職先に就け、良い収入が得られるからというのではないことは、すでにお分かりでしょう。若いときにこそいろんなことを吸収し、自分を高めることが出来るのです。自分を磨くということです。確かに年を重ねてから磨けないこともないでしょうが、年をとってからからの磨きは、せいぜい曇りを防ぐくらいのものでしかないように思えてなりません。
古人いわく「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んべからず」と。
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2019年01月15日
火事場泥棒
モスクワで行われている日ロ平和条約締結の交渉、
ラブロフ・ロシア外相が、北方領土の主権はロシアにあることを認めることが前提であると語ったと、報道されています。
第2次世界大戦の結果を日本が認めない限り、平和条約締結交渉の進展は困難であると日本の出鼻をくじくような発言。
その第2次世界大戦ですが、大きくヨーロッパ戦線と太平洋戦線に分けることが出来ますね。ヨーロッパ戦線では主にドイツとイギリス、そしてイギリスを支援するアメリカが戦った。東ヨーロッパでは、主にドイツとソ連が戦った。
一方東アジアでは、中国大陸で日本と中国(中華民国)が、東南アジアでは日本とイギリス、オランダが、東太平洋では日本とアメリカが戦った。ですから我々日本人からすると、第2次世界大戦というよりも太平洋戦争というのが、聞き慣れた名称ですよね。
すなわち、日本は中国に戦を仕掛け、それを見過ごすことが出来なかったアメリカと太平洋で戦うことになった。そしてこっぴどく打ち負かされた。これが太平洋戦争であると。
日本人からすれば、先の大戦は太平洋戦争で対戦国はアメリカ。イギリス、オランダならまだしも、日本はロシア(当時はソビエト連邦)と戦ったという感覚は薄いのではないか。ロシアと戦ったというのなら、それより37年遡る日ロ戦争のことと誰しも思うはず。
何とならば、当時日本とソ連との間には、日ソ不可侵条約を締結しており、日本はソ連の領土を1ミリも侵してはいなかった。
その条約を連合国の要請により、1945年(昭和20年)8月8日、ソ連は一方的に破棄して、日本の領土であった樺太南部と千島列島に侵攻し占領したのが、ラブロフ外相のいうクリル諸島。
当時すでに北太平洋でもアメリカによって打ち負かされていた日本は、北方領土に侵攻したソ連軍に抵抗する余力など残っていなかったのである。
確かに東ヨーロッパ戦線では、ソ連はドイツと激しく戦い、ソ連領に進行したドイツ軍を駆逐したのは事実。連合国の一員であったのも事実。
だから日本が70数年に、連合国(ソ連)に無条件降伏した事実を忘れるなと、ラブロフ外相は言いたいのだろう。
・・・なるほど、ごもっとも。
百歩譲って、同じ連合国でも日本が無条件降伏したのはアメリカであり、ソ連ではないというようなことは言いますまい。
しかし、どうしてもラブロフ外相に伺いたいことがあります。
ロシアには「火事場泥棒」ということばがないのでしょうかと?
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2019年01月14日
「遊遊漢字学」が楽しみ♪ PART63「釜」
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。昨日の日曜に阿辻先生が取り上げた漢字は、「釜」。
ご飯を炊く「釜(かま)」である。有史以来我々日本人は米を主食として来ましたから、「釜」の世話にならなかった者はいないはず。しかし、この漢字は普段訓読みで「かま」としか読みませんね。
本場中国ではどう読むのだろうかといえば、「フ」と読むのだそうです。「金」で意味を、「父(フ)」で発音を示す構造になっていると、阿辻先生は教えてくれています。
すでに今から3千年くらい前の青銅器に記された文章に、この「釜」を見ることができるということですから、中国の歴史の古さには舌を巻きます。当然のことながら、稲作が定着していたことも「釜」という文字から窺うことができますね。
『後漢書』の列伝の中で、范冉(はんぜん)について書かれた下りに、この「釜」という字が、「釜中生魚」ということばで出て来るのだとか。
「釜」の中にあるものは、飯だろうと誰でも思うのですが、魚とはこれ如何に?
阿辻先生は、ここで書かれた「魚」とは、魚虫、すなわちボウフラかミジンコであろうとおっしゃっています。
そこで列伝を詳しく調べてみると、「桓帝時為萊蕪長、遭母憂、不到官・・・」というくだりがありました。どうやら范冉は、後漢の桓帝のとき萊蕪の長に任ぜられたものの、母親を亡くしたので任官しなかったということらしい。
そして「有時絶粒、窮居自若」とありますから、范冉は、食べる米一粒もなくなり、生活に極まるような境遇にあっても、動じることなく落ち着き払っていたと。
たとえ「釜」に雨水が溜まりボウフラが湧くような生活を強いられても、それは范冉の本意とするところでなく、違うところを見ていたから泰然自若にかまえていることが出来た。
いったい何を見ていたのか?
そこで范冉について調べてみると、五経、とりわけ易経と書経に精通し、清廉潔白な人物とありました。
・・・なるほど、范冉はたえず徳目を修めることを第一に考えていたということか。
中国歴代王朝は、20世紀前半の清の時代まで儒教が支配していた国、ましてや「漢字」という文字の名前のもととなった「漢」の時代のことです。たえず有徳を目指した范冉の名は、歴史書に残さないわけにはいかなかったということでしょう。
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2019年01月13日
「国際山岳医」
突然ですが、皆さんは「国際山岳医」なることばをご存じでしょうか?
・・・インターナショナルな山の医者?
まあ、当たらずといえども遠からずといったところでしょうか。「山岳」とありますから、山(高地)という場所に特化した医療を専門とするお医者さんであろうと想像がつきますね。
本日の日経13面社会蘭、「登山家の限界 見極める」という大きな見出しとヤッケにゴーグル姿で振り向く美しい女性の写真がひと際目にとまります。
大城和恵さん、2010年に日本人初の国際山岳医となったその人です。
大城先生については、確かNHKのドキュメント番組で見た記憶があります。富士山にある山小屋で、登山者の急病やケガ人の手当てにあたっておられた女性医師が、大城先生ではなかったでしょうか。
私が注目したのは、大城先生の美貌ばかりではありません。記事の冒頭にいきなりこんなことが書かれていたからです。
「エベレスト世界最高齢登山者で冒険家の三浦雄一郎さん(86)は『不摂生な高齢者』の顔を持つ。持病の高血圧、不整脈に加え、食べすぎて体重90キロを超すのに、楽観的で薬を飲もうとしない」と。
・・・えぇっ!?
三浦さんについては、民放のテレビ番組やコマーシャルにも数多く出ておられますから、そのイメージはご高齢にもかかわらず若者並みの体力を維持しておられて、普段からフィジカルなトレーニングを怠っていない努力家だと思っていましたが。
どこにでもいる高血圧に不整脈、そのうえ食い意地のはった頑固ジジイではありませんか。
まあ、三浦さんより二回り以上も若いのに、高血圧、高血糖、高コレステロールで、さらに階段10段も昇れば息が上がり、足がつるというだらしない中年オヤジ( ← 私のことです)が言えた義理ではありませんが。(苦笑!
三浦さんがコマーシャルで薦めておられるサプリメント、私も飲んでみようかなあなどと、その気になっているのは事実です。(笑!
医者でありながら自ら登山を愛する大城先生、三浦さんに乞われて今回のアコンカグア最高齢登頂に同道されているということだそうです。
13年のエベレスト登頂にも同道されて、三浦さんのフィジカル面ばかりでなく、メンタル面のケアもサポートされていたとか。登頂のニュースに沸いた翌日、下山途中に精魂尽きた三浦さんの様子を見て、「安全のため下までヘリコプターで下りるべきだ」と進言。渋るスタッフを断固説き伏せた名医です。
今回も大城先生の見立てによれば、三浦さんの健康状態は「心臓や肺は並みの86歳より悪い」とのこと。
うわぁ~、命がけの三浦さんもスゴイですが、私が三浦さんを生きて日本へ連れ戻すという大城先生の覚悟もスゴイ。
三浦雄一郎の陰に大城先生あり。
今回の壮大なアコンカグア最高齢登頂、成功すれば壮挙には違いないでしょう。成功を心からお祈りします。しかし、私は今日のこの記事を読んで、たとえ登頂ならずとも、三浦さんの笑顔を再び日本で見ることができれば、これに過ぎる壮挙はないと思い直しています。
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2019年01月12日
酒の効用
皆さん、お正月ということで幾分かはお酒を飲まれたことと思います。
・・・なに?幾分などでは済まされぬですと?
それはたいそう結構なお正月でしたね。
・・・と言いたいところですが、そんなほろ酔い気分がいっぺんに吹き飛んでしまいかねないこのような研究報告が発表されています。
ウエブトピックスより、
アルコールとがんの関係が明らかに DNAを損傷、2度と戻らない状態に
少量でも長期に渡って飲酒を続けると脳がダメージを受ける
いみじくもわが国で古来より言われて来た「酒は百薬の長」ということばを、根底から覆す研究報告です。イギリスを代表する名門、ケンブリッジとオックスフォード両大学の研究グループの発表ということですから、ついつい真剣に読んでしまいます。
何々、アルコールの摂取は細胞のDNAを損傷して、がんのリスクを高めることが実験によって明らかになったですと?。
まあ、ここまでは素人でも、人によってはそういうこともあるかもしれないと想像できますから、百歩譲るとしても、そのリスクはアルコールの摂取量の多少に無関係というくだりには我慢がなりません。(笑!
さらに、少量といえども長期に渡る飲酒の習慣は、脳にダメージを与えるですと?
・・・長期ってどのくらいの年数なのでしょう?かれこれ40数年っていうのは、やはり短期とは言えないですよね。(笑!
まったく正月早々、やる気も萎えてしまいそうになるイギリス名門大学の研究者たちの報告であります。
もうこうなったら、酒の力を借りてやる気を奮い立たせるしか道は残されていません。(爆笑!
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2019年01月11日
「・・・でもお金があれば、もっと素敵だわ」
鳥の中でもオームやインコは頭がよいことで知られています。
地元北陸富山の地方紙、北日本新聞の本日の記事より、
中国の研究者が、インコを使って、こういう実験をやってみたというのです。メス1羽とオス2羽を同じケージに入れ、まずメスにオスを選ばせる。選ばれなかったオスを2羽から離して、複雑な容器を開けて餌を取り出す訓練をさせてから、先ほどの雌雄2羽と合流させ、メスにそのオスが複雑な容器を開けて餌を取り出している姿を見せる。するとどうなったか?
メスの気が変わり、以前はそっぽを向いていたオスに素振りを見せるようになったというのです。
この実験より、研究者は「セキセイインコは賢いオスがもてる」という結論を導き出したというのです。
異性を巡る競争で「賢さ」が果たす役割が、動物の進化に影響する可能性があると分析しているということですが・・・。
うん?・・・果してそうかな?
かの移り気なインコのメスは、オスの「賢さ」に心をときめかせたのか、それともオスが容器から巧みに取り出す「餌」になびいたのか、おおいに疑問の残るところです。
これからはインコではなくヒトの世界で実際にあったことをお話ししたいと思います。もう40年も前になろうかというころの話です。
巧みに餌を取り出す術に劣る(早い話が金がない)一匹のオスがいて、かねてより憧れるメスに想いの丈を打ち明けたと思ってください。
憧れのメスは、俯きながら恥ずかしそうにこう囁いたではありませんか。
「何もいらないわ。・・・あなが側にいてくれるだけでいいの♡」と。
巧みに餌を取り出す術に劣るオスは舞い上がりましたね。しかし舞い上がりながらも、心の片隅に引っ掛かるものがありました。その引っ掛かりはその後に続けたメスの言葉ですぐに明らかになったのでしたが。
「・・・でもお金があれば、もっと素敵だわ」
ちなみに巧みに餌を取り出す術に劣るオスとは私のことです。側にいてくれればいいと言いつつ、でも・・・と、天にも舞い上がった心に冷や水を浴びせるようなことを言ったのは、どういうわけか以来ずっと私のそばにいてくれる妻です。
すなわち、私の経験から言わせていただければ、かのインコのメスは、オスの「賢さ」もさることながら、もっと素敵な「餌」にも惑わされたのではないかと思うのです。(爆笑!
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2019年01月10日
「意之所存、便為禍福」
確かに日ごろ生きていく中で難局に遭遇したとしても、あの時今よりずっと苦しい局面を歯を食いしばって乗り越えたではないかと、自分自身を鼓舞して頑張るってこと、一度や二度ならずあったように記憶しています。
しかし、それはあくまで自分自身の経験を思い出してのこと。まさかそれが親の代の経験も関係しているかもしれないなどと、そんなことを考える人は誰もいないでしょう。
「親の因果が子に報う」という言葉は、どちらかといえば現生の不幸は前世での悪行が原因であるという仏教的な戒めの言葉と理解されますが、もし、親が苦難を乗り越えて獲得したストレスへの耐性や生き残る力が、子や孫にも引き継がれるとしたなら、まさしく「親の因果が子に報う」ということになりますね。
ウエブトピックスより、
苦難越え得た能力、子孫にも継承 京大が線虫で確認
科学の世界では、実験の結果に10%~20%の差異があれば、そこには明らかにその差異が生じる原因があると考えるのが一般的ですから、親の因果(ストレス)がその代だけでなく子孫にも報いた(ストレス耐性の獲得)と考えたくなります。
線虫でそうであるならば、人間でもと思いたくなるのが人情。果たしてこの研究結果は、ヒトの環境への適応力を子孫に継承するという種の生存戦略への応用につながるものでしょうか?
よくよく考えてみれば、我々は「若い時の苦労は買ってでもせよ」とか、「艱難汝を玉にす」などという言葉を普段よく聞かされているではありませんか。しかし、己の今の苦労が子や孫の代になって報われるというのは、切ないといえばこれほど切ない話はないような気がしませんか。
「禍福は糾える縄のごとし」という諺は、現況の幸福を戒めるという意味もありましょうが、どちらかといえば不幸な境遇にあっても、やがて必ず幸福がやって来るという希望的な意味合いのことばと解釈するのが一般的です。しかし、その周期までは言及していないことに、私は今気づき愕然としています。
私は、長くてもそのその周期は10年、20年のことであろうと思ってきたのでしたが、もしかしたら50年、60年、いや100年、200年待たなければならないということもあるのだろうか?
・・・、いかん、いかん。ものを悲観的に考え出すと、負のスパイラルに巻き込まれて奈落の底に落ちてしまうとは、このことではないか。
人生に困難はつきもの。辛いにはこの上なく辛いですが、後世(子や孫の世代)になってそれが報われるというのなら、結果良しではないではないですか。線虫を習ってじっと耐え忍ぶとしましょうか。(苦笑!
古の中国の賢人は、同じ「禍福」を使ってこうも教えてくれています。
「意之所存、便為禍福」(意の存する所は、すなわち禍福となる)
幸も不幸も心の持ち方次第であると。
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