通常そばを練るときには、水を使用するのですが、その水のかわりに「お酒」を使って練ったのが、 当店自慢の酒そばです!
お酒は富山で人気の地酒を使っています!
お酒の風味と香りが、 そば本来の風味と香りにからみあい、今までにないおいしいおそばができあがりました!
そば通、お酒通と呼ばれる方の中には、そばを食べ終わった後に
「残ったそばつゆに酒を少し足して飲む」のが最大の楽しみといいますよね。
まさしくお酒好きの方には、もう「たまりませ~ん!」っておいしさです♪
でも、お酒の苦手な方でもご安心くださいね! アルコール成分はそばを茹でた時にほとんど飛んじゃいますから、 お子様でも安心して食べられますよ!
(※但し、アルコールに弱い体質の方や小さなお子様はご注意ください。)
そばを茹でたあとのそば湯は ほのかなお酒の香りと旨味がでており、 それはそれはえもいわれぬおいしさ!
そばのお味から、香り、はたまたそば湯まで、 全てがたまらなぁ~いのが酒そばです♪
いつもの「そば」とは違う、ちょっとリッチなひと時を「酒そば」でお楽しみください♪
★これは珍しい!ひそかな噂を呼んでいる★こだわり酒そば
当店売れ筋NO1がこの「こだわり酒そば」です!
「こだわり酒そば」は、その名のとおり、
原材料にこだわり、厳選した、国産の原材料を使用しています!
■こだわり・その1:そば粉■
そば粉は、日本有数のそば処信州・安曇野(あずみの)産のそば粉を、 石臼にて、丁寧に、丁寧に、粗挽きしたものを使用しています。
北アルプス山麓長野県安曇野市一帯の地域は、 名水百選「安曇野わさび田湧水群」で知られる日本有数の名水の土地です。
清らかでミネラルが豊富な水によって、味も香りも素晴らしいそばが育まれます。
■こだわり・その2:製法
このそばの味と香りを最大限引き出すため、 製法にもこだわっています♪
そばの実を製粉する際、これまでの方法ですと、 機械製粉のためかなりの熱が発生し、 そば本来の香りが失われてしまいます。
昔ながらの石臼を使ってゆっくりと、丁寧に、丁寧に、挽くことによって、 そばの実の甘皮と呼ばれる部分をも一緒に挽きくるんだ、 そば本来の香り一杯の粗引きの「そば粉」にしています。
■こだわり・その3:小麦粉
小麦粉は北海道の大地が、育んだ小麦粉を使用しています!
北海道産小麦の特徴は、風味がよく、 その豊で広大な大陸同様、豊かな味わいを大切にし、そばの風味を最大限に生かす粉です。
■こだわり・その4:お酒
地元富山で人気の地酒を使用しています。
富山県は、三方を北アルプス立山連峰などの、山岳地帯に囲まれており、 中央には実り豊かな平野が広がっています。
富山湾、日本海へと開けている天然の巨大ダムともいえる山々からは、 一年を通じて豊かで、清らかな水が生まれるんです!
豊かな大地と清らかな水に育まれた米どころ富山は、日本でも有数の酒どころでもあります。
酒そば本舗の酒そばは、富山で人気の地酒を使用しています。
2016年10月31日
「公人朝夕人(くにんちょうじゃくにん)」ってご存知か?
人気時代小説作家・上田秀人ファン必見の本、「武士の職分 江戸役人物語」。
これを読めば読者を虜にするストーリーの主人公がどうやって生まれたか知ることができます。上田自身がこの本でその種を明かしてくれました。
武士の職分 江戸役人物語 [ 上田 秀人 ] |
まずブックカバーのイラストを見ると、4人の人物が描かれています。上田ファンならこの人物がどのような役職なのかすぐわかろうというもの。
上に描かれた人物から時計回りに、奥祐筆、表御番医師、目付、小納戸。いづれも上田のシリーズで主人公として登場していますね。奥祐筆組頭・立花併右衛門、表御番医師・矢切良衛、目付・鷹垣隼人正、小納戸月代御髪・深室賢治郎、上田の魅力にどっぷり浸かってしまった私は、主人公の名前までそらんじてしまった。
さて、主人公の名前はさておき、これらのヒーローの役職を上田は次のような資料本から探し出したと言っています。
「江戸幕府役職集成」「江戸役人役職大辞典」「江戸時代奉行職辞典」「江戸幕府旗本人名辞典」・・・等々。
上田によれば、このような役職まであったと紹介されています。しかも、土田孫左衛門家の世襲であったというのですから、俄かにはちょっと信じがたいですね。
その役職とは、「公人朝夕人」。
まずどう読んだらいいのかからしてわからない。これを「くにんちょうじゃくにん」と正しく読める人はまずいないのではないだろうか。
公人朝夕人は将軍が禁裏や日光東照宮に参内した時に付き添い、将軍が不意の尿意を覚えた時、狩衣や袴の脇明から小用の筒を差し込むのが仕事であったというのですから、なんとも驚きです。
将軍の家来は旗本と御家人に分かれれているのはご承知の通り。その最大の違い、旗本は将軍に目通りが許されたが、御家人はそれがかなわなかった。
そこで私は一つ解決のしがたい疑問にぶつかるのです。
代々の公人朝夕人・土田孫左衛門は、旗本であったのだろうか、それとも御家人であったのだろうか?
公人朝夕人の禄は、わずか十人扶持(一人扶持は一日玄米五合、十人扶持は年にして十八石)であることからしても、下級武士であったことが想像できます。禄からすればおそらく御家人に違いないだろうと思われます。
庭先に侍りながら、将軍が用を済ますまで筒を将軍の一物にあてがう仕事は、どう考えても旗本の矜持にかなうものではなかろうと考えるのが普通でしょう。
しかし、代々の土田孫左衛門は、お目通りもお目通り、将軍の一物に間近に接するわけだから、立派な直参旗本だったのではないかと。(笑!
もしかしたら、ある日上田の新シリーズ「公人朝夕人秘録 捧げ持つ筒のしずく」が刊行されることがあるかもしれませんぞ。
・・・!? あるわけないだろう!上田の名誉のために付け加えておきます。
2016年10月30日
ベニズワイガニ給食、始まったよ♪
当地北陸富山の氷見、新湊、魚津などの各漁港では、冬味覚ベニズワイガニ漁が解禁されてより、水揚げは順調に推移しているようです。
今年も各漁協の協力によって、ベニズワイガニが学校給食にふるまわれたというローカルニュースが報じられています。当地ではすでに晩秋の名物になった感のあるベニズワイガニ給食の話題です。
富山湾の蜃気楼で有名な県東部の魚津市で、子供たちの歓声が教室に溢れました。
ウエブトピックスより、
富山) ベニズワイガニ給食、始まったよ♪
11月下旬までに市内全校の6年生全員にゆでたベニズワイガニ1杯(当地ではカニを1ぱい、2はいと数えます)が丸ごと提供されるとは、漁協も太っ腹ですな。
市場価格が小売りで1杯250円くらいでしょうか。6年生380人で10万余りの予算ということになります。全校生徒となると50~60万という勘定になってしまうので、さしもの漁協も二の足を踏むといったところでしょうか。
カニの足は10本あるのですから、二の足と言わず三の足、四の足踏んでもらってもいいと思うのですがね。(笑!
まあ、5年生以下は6年生になるのを楽しみにしましょうということで良しとしましょうか。(笑!
冬の富山湾の味覚、ベニズワイガニを全国のご家庭でもぜひ味わっていただきたいものです。
2016年10月29日
「世界で最も美しい湾クラブ」
「世界で最も美しい湾クラブ」ってご存知でしょうか?
調べてみると、湾を活かした観光振興と資源保護、そこに暮らす人々の生活様式や伝統の継承、および景観保全(シースケープ(英語版))を目的に、1997年3月10日にドイツのベルリンで設立され、フランスのヴァンヌ市に本部を置くNGOとあります。
加盟条件の条件は、次の5条件をすべてクリアすること
1.優れた自然の美しさがあること
2.豊かな生態系があること
3.経済的潜在力があること
4.地域と国レベルでの法的保護体制が整っていること
5.世界遺産の評価基準に準じていること
なるほど、どんな湾でも加盟できるのかと思えば、加盟に当たって厳しい審査があり、ちょとやそっとでは加盟が許されないなかなかに難しいクラブだということがわかります。
日本では松島湾とわが故郷の富山湾の2か所だけですから、地元人として鼻高々ですな。魅力的で美しい自然を有することや、珍しい動植物がいること、地元住民にとって象徴的存在であることなどの基準を満たす必要があるということですが、早速検証してみましょう。
まず、ホタルイカやシロエビは富山湾の名物。水産資源としてだけではなく、今や立派な観光資源でもあります。富山湾の東部に位置する魚津市沖は、蜃気楼の発生で有名ですね。西側に目を向けると、グルメ番組でおなじみとなった氷見漁港(氷見市)や新湊漁港(射水市)があります。
次に義経伝説でも有名な雨晴海岸では、波が打ち寄せる海岸の直ぐ間際をJR氷見線が走っていて、晴れた日には水平線越しの立山連峰を撮ろうとする写真ファンに撮り鉄ファンも加わって大賑わいとなります。
ずいぶん前になりますが、私もこのアングルから立山連峰を撮ったことがありますのでご披露しましょう。
・・・どうです。デジカメのファインダーを覗いてシャッターボタンを押すことしか知らない写真家にしては、よく撮れているでしょう。(笑!
このような私でさえ写真を撮ろうというくらいの景勝の地が、地元住民にとって象徴的存在でないわけがない。
かくして「世界で最も美しい湾クラブ」加入の審査基準はすべて満たされています。(笑!
古人いわく「百聞は一見にしかず」。一度ご来訪あれ。
2016年10月28日
これで大国と言えるのか?
わが国では、個人は法律に触れなければ自分の意思のままに自由に行動することができます。たとえ国家といえども束縛することはできません。
経済に自由主義の原則を取り入れてより、目覚ましい経済発展をとげ揺るぎない大国にのし上がったお隣の国・中国。
今や中国人旅行客を受け入れる東アジアの観光各国では、日本も含めて中国人観光客の動向を考慮することなく商売を展開することはかなわないと言っても過言ではありません。
お客に満足してもらえるサービスの提供を絶えず心掛けるのは商売の鉄則で、別段中国人だけに越したことはありませんが、わが国の観光サービス業は徹底して訪日中国人観光客の心を掴むべく工夫に工夫を重ねてきた。お隣の韓国にしても同様のはずです。
ところがかの大国は、経済こそ自由主義の原則を取り入れたものの、政治については依然として一党が支配する独裁政治体制を敷く国。
中央政府のこんな鶴の一声がまかり通る国であることを忘れてはなりません。
ウエブニュースより、
中国政府「韓国行く国民を20%減らせ!」
人気のある韓国旅行ツアーの客をさらにどうやって増やそうかと考えるのが商売上手の旅行会社というもの。それが突然20%減らす方法と対策を考えよというのですから、国家(党)の都合で自由主義経済の原則が捻じ曲げられてしまう。
韓国旅行をしたいという国民の思いなどどうでもいいということなのでしょうか。
恐ろしい国としか言いようがありませんね。とても大国とは言い難いように思われてなりません。
2016年10月27日
山手線新駅の名前は?
JR東日本が東京オリンピックが開催される2020年までに、山手線の田町、品川間に新駅を設置するそうですが、新駅の設置される地元では早くも駅名をどうするかで熱い論争が沸き起こっていると言う話題。
ウエブトピックスより
「港南」「高輪」「品田」…山手線新駅の名前は
品川は今でこそ大都市東京を構成する巨大な街のひとつですが、江戸時代では東海道の最初の宿場町であったことからも、すでに江戸ではなかったということがうかがい知れます。
昔の旅人は、経済的に恵まれていれば、親族・知人らが品川まで同行して一泊。品川の宿で別れの宴を持ったと言います。ではそんな余裕のなかった庶民はどうしたか?まず品川で泊まることはなかった。
日本人なら誰でも知っている童謡「お江戸日本橋」は、
「お江戸日本橋 七つ立ち~♪」
で始まっていますね。
旅程を少しでも稼ごうと、世も明けやらぬ七つ(午前4時ころ)に旅の基点日本橋を出発したと歌っています。それでは品川にはいつごろに着いたかというと、後に続く歌詞を見れば直ぐ分かります。
「こちゃ高輪、夜明けて提灯消す~♪」
品川の一歩手前の高輪辺りで、夜が明けて来た(午前6時ころか?)ので、提灯の火を消したと言っていますね。
日本橋から高輪まで夜道を一時(2時間あまり)かけて、提灯の灯りを頼りに歩いたことが分かります。
現代にもどって、JR東海道新幹線の時刻表を見ると、東京駅始発下り特急”のぞみ”1号は、午前6時発。その6分後の6時6分に品川着。6時7分には品川発となっています。
してみれば、昔の旅人が品川の手前高輪辺りで提灯を消そうかとためらっているころには、現代人はすでに品川を出立していることになりますね。
その品川の一歩手前高輪辺りに、JRは新駅を造ろうとしているわけです。果たして新駅はどんな名前になるのでしょう?
東京オリンピックも待ちどうしいですが、新駅の名前も楽しみです。
2016年10月26日
そば湯について
そばとうどんはどこが違うのか?
そんなもの、そばはそば粉で、うどんは小麦粉(うどん粉)で作るに決まっているじゃないか。
ではそば粉と小麦粉は、どう違うか?・・・色が違うでしょう。
じゃあ、色以外でどこが違っているのだろう?
そば屋ではそば湯を出してくれるが、うどん屋で"うどん湯"を出してくれるということないでしょ。
だんだん怪しげな答えになってきましたね。
というわけで、そば粉の栄養成分のうち特にタンパク組成について、小麦粉のそれと比較した資料が手許に入りましたので、これを基にしてご説明したいと思います。
〔日穀製粉(株)研究室の資料です]
タンパク成分 | そば粉 | 小麦粉 | |
アルブミン | 12.1% | 11.1% | |
グロブリン | 53.8% | 3.4% | |
グルテニン | 21.6% | 13.6% | |
プロラミン | 11.3% | | |
低分子 | | 5.3% | |
グリアジン | | 33.3% | |
残渣タンパク質 | | 33.4% | |
小麦粉の主たるタンパク質は分子が大きく、これを水と練り合わせると、○印のグリアジンとグルテニンが水和することにより、グルテンを形成してさらに大きな分子になるのです。
このグルテンは麩質と呼ばれ、うどんやラーメンのおいしい食感にはなくてはならないものなのです。そう、うどんのコシは、このグルテンが決め手になるのです。
一方そば粉に含まれるタンパク質は比較的低分子で、表からも分かるとおり水に溶けやすいのです。
また、グリアジンが含まれないので、水と捏ね上げてもグルテンが形成されないので生地がつながりにくい。それでつなぎに小麦粉を使って、そばを打つということが編みだされたのです。
これが、二八そばとか五割そばとかいわれる所以なのです。十割そばというのは、この水溶性のタンパク質とでんぷん質をうまく糊状にまとめて捏ね上げて打つ方法で、余程の職人さんの打ちたて、茹でたてを食べない限り、やはり細かく切れやすいのです。
さて、話をそば湯に戻します。
もう、お分かりですね。せっかくの良質のタンパク質や栄養成分が、ゆで湯の中に溶け出すので、蕎麦を食べたあとに、だし汁をそば湯で割っていただくという知恵です。そば通の中には、蕎麦よりこのそば湯がお目当てという方がいらっしゃるというのですからね。
昔の人は、エライですね。このようなことを理屈抜きで経験で感じ取って、生活の中に取り入れていたのですから。しかもそれが面々と今日まで受け継がれて来ているのですから、この文化を継承せずば、昔の人に叱られようというものです。
2016年10月25日
歯医者
あまり好んで行きたくない所を一つあげろと聞かれれば、私なら迷わず歯医者と答えます。実は今その歯医者から戻ったところなのです。
数日前に前に奥歯の被せものが取れたのを放置していたのですが、今朝飲んだ熱い味噌汁が沁みたので、慌てて歯医者へ行った次第。予約なしで突然行ったものだから、1時間ほど待たされた。
この待合室で待たされている間、どうしても耳に聞こえてくるのが治療室の歯を削る機械の音。これほど耳障りで神経を逆撫でる音はないと思いませんか。遂にはその音を自分の耳にもっとも近いところで聞くことになるのですよ。
治療室の椅子に座ると、赤ちゃんのよだれ前掛けのようなものを首に掛けられる。よくよく考えてみれば、自尊心をこれほど傷つけられるこんな情けない格好はないですぞ。
椅子を倒され、眩しくて目を開けていられないほどのライトを当てられて、いよいよあの音が間近に大きく迫ってくるようになると、先ほどまでの大いなる自尊心はどこに行ってしまったのか、恥も外聞もなく大きく口をあけたまま顔をしかめ、身をこわばらせて、椅子のひじ掛けを握り締めることになるのです。
一方、治療室にいるもう一人の人間は、同じ音を毎日イヤというほど聞いているので何のこともない。淡々と己の仕事を進めるだけです。仕事が淡々と進めば進むだけ、こちらは椅子のひじ掛けを握る手に力が入るというわけ。何しろ世間広しといえども、他人の口でおまんまを食べているのは歯医者だけですからね。
そんな修羅場を潜り抜け、今ようやく一息をついているところです。
2016年10月24日
大豆と枝豆
当地北陸富山は米どころ、子供の頃より田んぼでの農作業の風景が日々の移ろいそのものでした。その米どころの当地においても国の転作奨励の政策が浸透し、米の他に小麦や大豆が栽培されるようになりました。
この時期田んぼを遠くから眺めると、刈り入れが終わった田んぼの他に、休耕田の緑あり、収穫前の大豆の枯れた茶色あり、まるでモザイクのようです。
大豆といえば昔は田んぼの畔に必ず植えられていたものでした。恥を顧みずに言いますと枝豆という豆が別にあるのではなく、大豆をまだ夏の内の若いうちに収穫したものが枝豆だということを知ったのはつい最近のことです。
塩茹でにして食べたら美味しいだろうな・・・などと言っていたあの枝豆はどうなっているだろうかと思い、畑まで行って様子を見てきました。
遠方からは枯れてしまったように見える大豆の株ですが、近くに寄ってみると、
豊かに稔ったサヤを覆うように茂っていた緑の葉っぱはすっかり枯れ落ちてしまったものの、株にはすずなりの豆のサヤがぎっしり。少し開いたサヤの口からは、黄色く色づいた大豆がこぼれ落ちそうに稔っていて、収穫の時が間近に迫っていることを教えてくれています。
大豆の収穫が終われば、当地では冬支度が始まります。
2016年10月23日
サンマの塩焼き定食
秋といえば何んといってもサンマでしょう。
今年のサンマ漁は、北海道の沖合いの海水温度が高く推移しているとのことでサンマが南下してこず、水揚げがかんばしくないと聞きましたが、ようやく市場に出回ってきたのでしょうか。
昨日のお昼に食べた焼きたてあつあつのサンマの塩焼き。国道沿いの定食屋で食べました。お昼時込み合う客の二人に一人は、このサンマの塩焼き定食を注文しているようでしたから、みんな考えることは同じだなと思った次第。
サンマは一匹丸ごと焼いてあるのがいいですね。これが頭と尻尾が二切れに分断されていると、たちまちおいしさが半減してしまうような気がしてくるから、不思議な魚でもあります。
それにナスの煮浸し、ご飯と味噌汁が付いて税込み890円。サンマとごはんと味噌汁から立ち昇る湯気で、写真が雲ってしまって、おいしさが伝えられないのが残念です。。。
2016年10月22日
「便育」
食べるものを食べれば、出すものを出したくなるのが人の生理というもの。大きい方にせよ小さいほうにせよ、催したとき我慢せずにすっきりさせるのが体にとってもいいに違いありません。
最近のトイレは洋式トイレが主流、一般家庭でも公共機関でも和式タイプはあまり見かけなくなりましたね。ところが依然として圧倒的に和式という公共機関が一箇所あるというのです。
ウエブトピックスより、小学校のトイレはなぜいまだに和式なのか? 戸惑い、我慢しちゃう子も…
なるほど、各家庭や幼稚園などで洋式の便器になれた子供たちにとって、小便器はともかくとしても、大便器の勝手が違うので戸惑うということなのでしょう。特に低学年の子供にそれが顕著だということなのでしょうね。
よくよく考えてみれば、洋式タイプの便器が普及しだしたのは、つい30年ほど前のこと。出始めのころは私なんぞは逆に洋式の便座に戸惑ったものでしたがね。これはどこにどうやってしゃがむのだと。(笑!
それが洗浄器のついた便座が開発されてから、洋式ファンがぐっと増えたのではなかったか。
30年の歳月というと、小学校に上がる子供を持つ親からして、和式便座を知らぬ洋式タイプで育った世代ということになりますから、子供たちに和式便座の使い方を教えるのは容易じゃないというのももっともなことです。
耐震化工事の推進のためにトイレ改修まで予算が回らなかったというのも理解できますが、ウンチを我慢してしまう子供がいるというのは、子どもの健康のためにも良くない。
金が回って来ないというのなら仕方がない。まずは和式トイレの使い方を小学校でPTAなどとも協力して、徹底的に教え込む必要があるのではないか?よくあるでしょ、「親子○○教室」というの。
「食育」の大切さが叫ばれて久しい昨今ですが、食べるものを食べたら出すものを出さなければなりませんからね、「便育」の大切さも多いに語られなければなりません。
2016年10月21日
時代小説が好きPART133「禁裏付雅帳3 崩落」
「政争」、「戸惑」と続いた人気時代小説作家・上田秀人の新シリーズ禁裏付雅帳(きんりつきみやびちょう)第3話は、「崩落」と付けられていました。
崩落 [ 上田秀人 ] |
時は11代将軍家斉の治世、時の老中首座松平越中守定信から禁裏付を命じられた旗本500石の若き当主・東城鷹矢(とうじょうたかや)の活躍を描く本シリーズ。
鷹矢は洛中の禁裏に赴任するやいなや、幕府と朝廷、松平定信と先の老中首座・田沼意次の引きを受けた京都所司代・戸田因幡守忠寛(とだいなばのかみただとお)の争いの渦の中に巻き込まれる。(第1話「政争」)
松平定信の思惑は、朝廷より家斉の実父一橋治済(ひとつばしはるさだ)に大御所の称号を得ること。しかし幕府に今上帝の実父に太上天皇の称号を求めるも拒否されていた朝廷は、なかなか首を縦に振らない。
「大御所の勅許を得るために朝廷の弱みを探れ」
これが若き禁裏付・鷹矢に与えられた密命であった。
しかし、松平定信と反目する京都所司代戸田忠寛による妨害や、定信の狙いを見破った五摂家二条治孝の策略に立ちすくみ戸惑うばかりの鷹矢。(第2話「戸惑」)
そして第3話が「崩落」。辞書を繰るまでもなく崩落とは崩れ去ること。いったい何が崩れ去るというのか?若き禁裏付・鷹矢の奮闘が無に帰すとでもいうのだろうか?
2016年10月20日
お奨めの一冊「一日江戸人」より、けた外れの大食い大会
そばが今のように細く切られて食べられるようになったのは、江戸時代の初めごろということをご存知でしたでしょうか?そばの歴史を語る時は、江戸時代のいわゆる「そば切り」から始めなくてはなりません。
当時そばはどのようなときどのように食べられたのか?将軍はそばを食べたのだろうか?「そば切り」について調べていけば、江戸時代の人々の食事、生活、娯楽といった当時の人の暮らしぶりに自然と興味が湧いてきます。
そんな興味がいつのまにか愛着に変わってしまう本、「一日江戸人」 杉浦日向子著をご紹介します。
これを読めば、当時の江戸市民の美人の基準、モテる男の職業、江戸の人々の暮らしや趣味趣向、さらには将軍に代表される殿さまの暮らしぶりや江戸城大奥の仕組みまで手に取るようにわかります。
一日江戸人 [ 杉浦日向子 ] |
この中で杉浦さんは、なんと大食い大会について書いておられたので、思わず読み進めてしまいました。
大食い大会は今でもよくありますが、当時の江戸でも結構催されたのだとか。文化14年(1817年)両国柳橋の万八楼で催された記録が残っていてるそうです。
それによれば、ナント! 酒一斗九升五合、せんべい二百枚、飯六十八杯。思わず「えっ!?」と声をあげてしまうとんでもない記録なんです。
注目のそばは、新吉原の桐屋五左衛門(45歳)というお人が、もりそば六十三杯お食べになってチャンピョンになられたそうですよ。
ちょっと変っているのは、八丁堀のいすや清兵衛さん、御年65歳。こちらは甘党の記録です。
この方は、饅頭30個、鶯餅80個、松風(あんこの入った和菓子?)30枚お食べになった後に、ナント!たくあん丸ごと5本たいらげたっていうんですから、コメントのしようもありません。
まあ、これだけ甘いものを食べれば、塩っ辛いものが欲しくなるというのは理解できますがね。それでも二切れ三切れでしょうよ。(笑!
ちなみに酒一斗九升五合を飲んだ方は、芝口の鯉屋利兵衛さん、御年65歳。さすがに酔いつぶれてしまったそうです。目を覚ました時に、水を茶碗に17杯お飲みになられたそうですよ。よく目が覚めたものだと感心しますが、その後の水の飲みっぷりにも驚きですね。
出来るものなら私も「一日江戸人」になって、こんな人たちを取り囲み周りではやし立てる見物人の中に混ざり込んでみたいものだと思ったことでした。
2016年10月19日
そばの「赤すね」
久しぶりにそばの雑学。
まずは私が栽培したそばの写真を見ていただきたいと思います。これは8月のお盆過ぎに種を蒔いてから二月あまり経ったころ撮ったものです。
ごらんのとおり、そばの茎はずいぶん曲がりくねっていますね。まるで地を這うかのようです。それと茎の根元が赤みを帯びてるのがわかります。
そばは「そば75日」という言葉があるように、種を蒔いてから発芽も成長もたいへん早い植物で、この鉢植えのそばもすでに茎の先につけた花はすっかり枯れてその根元が黒く結実し始めています。
私の観察したところによれば、結実が進むにしたがって茎の根元はますます赤みを増すようです。そばの産地ではこれをそばの「赤すね」と呼び、このような神秘的な民話が伝わっています。
そば粉の製造メーカー日穀製粉のホームページに九州宮崎地方の民話が紹介されていました。
昔「むぎ」と「そば」の姉妹がおった。
冬の寒い日、老婆が「川を背負って渡してくれ」と頼んだが「むぎ」は断り「そば」一人で渡したそうな。「そば」の足は冷たい水で真っ赤になり今も茎が赤いんじゃ。これを見た神様は「そば」を夏の太陽ですくすく育つようにしてくれたが「むぎ」は冬に踏まれるものにしてしまったとさ。
古来よりこの国の民は米を主食として栽培してきましたが、米や麦と違って収量はそれほど見込めなくとも、荒れてやせた土地でもよく根つき、手間暇をかけなくても実を結ぶ作物として農家で重宝がられてきのがそばでした。
冷害や台風による洪水で米の収穫が見込めない年、山間の荒れた土地に蒔いておいたそばがどれほどこの国の民を救って来たことか。
そんな辛抱強さがよく似合うそばなればこそ、そばの「赤すね」の民話が今日まで語り継がれてきたのでしょう。
2016年10月18日
この地名正しく読めますか?
ご存知のように漢字は表意文字ですが、それをそのまま使うことをせず、読みに音と訓を持たせ、さらに漢字からひらかなとカタカナを生み出したのは日本人ならでは知恵。コンピュータの力を遺憾なく発揮させるソフトを開発したようなものとたとえてもいいでしょう。
ただ漢字の音と訓の使い分けは、長い歴史の中でより漢字の懐を奥深くしてしまったのはどうしても否めないようです。時として利用者である我々を戸惑わせることしばしばです。
「木葉下町」、貴方はこの町名を正しく読めますか?
ウエブトピックスより、難易度全国レベル 水戸市木葉下町
誰でも見た瞬間に、これは町名であることが最後の一文字から直ぐにわかりますが、その前の三文字をどう読んだらいいのかまったくわからない。
「きのはした」「このはもと」、まさか「もくようげ」ということはないだろう?
正解は「あぼっけ」と読むのだそうです。まったく「あ(ぼ)っ気」にとられてしまいますね。そこに住む人にしか正確には読めないでしょう。
日本全国には、それぞれの地方にある伝説や特徴ある地形、気候などが影響したとみられる、その土地の人にしか正しく読めないだろうという独特の読みの町名が数多くありますね。
そこで、わが故郷富山県とお隣石川県の北陸線沿線の駅名から2問出題します。いずれも「動」という文字が使われていますが、文字通りこれを"どう"読むかがポイントです。「木葉下(あぼっけ)」級の難問ですぞ。
北陸新幹線が金沢まで開通して、富山県下の旧北陸線は"とやまあいの風鉄道"と名前を変えましたが、第一問は富山県西部石川県境に位置する小矢部市にある"とやまあいの風鉄道"「石動駅」。第二問は金沢で新幹線を降り、北陸線に乗り換え西へ少し。加賀市にある「動橋駅」。
さてどうですかな?・・・読めますかな?
正解は本ブログの一番下に書いてありますから、ご参照ください。
正解
第一問「いするぎ駅」、第二問「いぶりばし駅」
「動」がどうして「いぶり」と読めるのか、そんな読み学校で習いました?(笑!
「石動(いするぎ)」にいたっては、「動」が「するぎ」なのか「るぎ」なのか、はたまた「ぎ」なのかさえワカリマセン!(笑!
2016年10月17日
さんま、さんま、さんま苦いか塩っぱいか。 PART2
秋の味覚の王様といえば、サンマ。
そのサンマの漁獲量が今年は例年になく低調に推移し、いたく心配していたのでしたが・・・。
どうやらサンマが戻って来てくれたようです。
ウエブトピックスより
サンマ、ようやく手ごろに=北海道で水揚げ回復
9月の水揚げ量は前月の5倍を超える2万3千トン以上だったということです。物の流通量が増えれば価格が下がる、何もサンマに限ったことではありませんね。経済の大原則です。これでようやくわが家の食卓にもサンマの塩焼きが上るというもの。
そもそも1尾300円も350円もするサンマって、たとえ食卓に上ったとしてもそれはサンマって言えないのじゃないか?
そんな高いサンマを喰ったところで、ただただはらわたの苦みが口中に広がるだけというもの。1尾100円だからこそサンマを食べたという満足感がわいてくるような気がします。・・って、貧乏人のヒガミかなあ~?(笑!
2016年10月15日
金沢城公園と兼六園を観光して来ました♪
北陸新幹線の"つるぎ"に乗って金沢へ行って参りました。
富山県の県西部の地方都市・高岡市から金沢へは、北陸道を利用すれば車で40分余りで金沢の中心部へ行くことができますから、車で行って所用を済ませて車で帰るのが一般的です。
11日の夕方と翌12日のお昼からも金沢で会合があったので、11日に金沢で一泊することにしたこともあり、ならば"つるぎ"の初乗車も体験してみようと思い立ったというわけ。
"つるぎ"は富山ー金沢間に運行されている特急で、停車駅は新高岡のみ。というか、富山と金沢の間のには新高岡駅一駅しかありません。その新高岡から乗車して金沢まではわずかの12分。ガラガラの自由席について席を温める間もなく、「まもなく終着駅金沢です」のアナウンスが流れて来ます。
というわけで、北陸新幹線のローカル特急"つるぎ"初乗車の体験は、慌ただしさだけしか記憶に残りませんでした。(笑!
よくよく考えてみれば、"つるぎ"乗車が初体験であったばかりでなく、日帰りできる金沢に一泊したというのも初めてのこと。おかげで12日の午前中はまるまる時間を空けることができたので、今話題の北陸の古都・金沢を楽しむことにしました。
まずは、金沢といえば兼六園。兼六園といえば琴柱灯篭。
その琴柱灯篭の陰、奥の方に茶室がかすかに写っています。近くまで行ってベストアングルから撮りました。
次に兼六園と隣接している金沢城公園から、まずは何はさておき石川門。
石川門は桝形の造りになっていて門を入ってすぐに行き止まり。その右手にある門をくぐらなければならない。その内側の門の扉です。
その門をくぐると現われて来るのが何とも広大な広場。その向こうにそびえるのが三の丸の城壁と櫓。そばに立つ人の大きさと比較してもらえば城壁の巨大さと広場の広大さがわかってもらえるでしょう。当然ながら城壁の際には満々と水をたたえた広くて深い掘が巡らせてあって、近づく人を拒絶しているかのよう。
ここが三の丸前の広場ですからね。本丸まで攻め上がろうという敵の意欲も、この辺で萎えてしまうのではないかとさえ思えて来ます。
加賀百万石の居城、金沢城とその庭園は噂に違わぬ名城、名園と言えましょう。
2016年10月14日
季節の野草
それこそ朝顔、ひまわり、チューリップぐらいならばはさすがに見分けることができるというレベルですから、野草や園芸用に開発された草花となると、名前こそ耳にしたことがあるにせよ、名前と草花の姿は一致しません。花の形、色、香り、咲く季節などまったく分からないことが多いです。
さて夏の間中断していた公園でのウォーキング、10月1日より再開しました。目についた草花を写真に撮ってはみたものの、残念ながら何という名前の花なのかわかりません。
この小さな紫の花は、リンドウのようにも見えますが、キキョウの一種かもしれないと思い直したりしています。
次の花もまったく名前が分かりません。上から見ると白と薄ピンクの渦巻き状の模様をした花弁をしています。まるで砂糖菓子のようです。
季節の野草をもう少し勉強してみようと思い直したことでした。
2016年10月13日
雲の緞帳(どんちょう)
今朝5時半ころに撮った東の空。
日の出を待つ北アルプス立山連邦の稜線がシルエットとなって浮かび上がってきます。
3000m級の山々の上空の雲の切れ間が横一直線に並んで、まるで自然の巨大な舞台の緞帳がするすると上がったかのように見えますね。
現れた千両役者の荘厳な姿に、観客はことばを忘れただ見入るのみです。
2016年10月11日
"剣"と"つるぎ"
今日の日の出は、午前7時15分ころ。今の時期なら6時半ころより少しづつ薄明るくなってきてからの30分~40分が、いわゆる夜明け前ということになるのでしょう。
静寂の中にシルエットのように浮かび上がる北アルプス立山連峰の剣岳を時系列に3枚撮りました。写真中央、用水路の延長線上にある山が、剣岳です。
6時40分頃。刈り取りを終えた田んぼはまだ薄暗く深い緑色。もう少し寝れると主張しているかのようですが、遠く山の稜線に目を移せば茜色にそまった雲がすでに夜明けの近いことを教えてくれています。
それから15分ほど経って、6時55分ころ。この雲の色は何と表現したらいいのだろう。・・・琥珀色?
稜線にたなびく雲が茜色から琥珀色に変わるころには、近場の田んぼの様子もはっきりと見てとれるようになりますね。さすがにまだ寝れるとは言いにくいでしょう。(笑!
それからさらに20分。雲の切れ間から陽光が差し始めた直後、7時15分ころ。被写体が被写体だけにひどい逆光になりました。
左下に写っている赤い光点はナニ?心霊写真のような感じがしなくもない(笑!
雲の切れ間の位置からすると、厚い雲が山の稜線から顔を出した太陽を隠していたのでしょうか。そうすれば日の出の時間はもう少し早かったのかなと思われます。
富山県西部に位置する当地高岡市では、本日の日の出は7時10分ころと修正いたします。
さて今日は所用で午後お隣の金沢市まで行ってまいります。北陸新幹線が金沢まで開通する前は、車でも電車(旧北陸線)を利用しても金沢までおおよそ40分くらい。普段は車で行くことが多いのですが、今回は新幹線で行ってみようと思っています。料金は少々高めですが、新設の新高岡駅から乗ると金沢まで10分で行ってしまいます。
北陸新幹線が金沢まで開通したことにより、旧北陸線の京都大阪方面の特急はすべて金沢で打ち切り。そのかわりに富山金沢間だけを行き来する新幹線が運行されることになりました。その特急の名前が”つるぎ”。
といっても富山と金沢の間にある駅は、新高岡のみ。だから”つるぎ”は富山金沢間を各駅停車する特急というわけ。
実を言うと、特急"かがやき"と"はくたか"はこれまで何度も利用したことはありましたが、”つるぎ”には一度も乗ったことがなかったのです。
朝”つるぎ”に輝く日の出を仰ぎ、昼からは”つるぎ”に乗るか・・・。
わずか10分間ではりますが、”つるぎ”の乗車と加賀百万石の都金沢の様子は、後日お伝えしたいと思っています。お楽しみに♪
2016年10月10日
挨拶の意義
ニホンザルは群れのなかで高度な秩序ある社会生活を営んでいることが知られていますが、その基本は個々のサル同士の抱きつきによる挨拶にあったという話題。しかもその挨拶の仕方が群れによって違いが見られることを発見したということなんですが・・・。
ウエブトピックスより
仲間なら「ハグ」しよ! ニホンザルも 京大チームが発見
人間社会での挨拶が抱擁や握手であったりお辞儀であったりと違うように、サルの社会でも群れが違えば挨拶の仕方に違いが見られるのは、その群れ固有の文化であると判断されるいう研究です。
ふ~む、なるほど・・・。抱きつくという行為は、別段サルに限らず人間でも持ち合わせているいわば本能のようなものですね。サルでも人間でも赤ん坊は母親の胸に抱きついていますでしょ。その無力な赤ん坊を連想させる行為をすることによって、私はあなたに危害を加える意図はありませんよと無意識に伝えているのではないか?
抱きつけばお互いの温もりを感じ合うことができますね。温もりは野生の生物にとって生きている証でもありますから、抱きつくという行為はお互いの生を確認する行為でもあるわけです。
さて、そのサルよりももっと高度に進化したと自認する人間が、肌の色や宗教の違いによって未だに憎しみ会い殺し合いを続けているのは、どうしたことだろう?
もしかしたら形骸化してしまった挨拶が、その根底にあったはずのお互いの温もりを感じ合う、生を感じあうということを忘れ去ってしまったからではないかと思ったりしています。