★今街で噂の★酒そばとはこんなそば 酒そばってこんなそば

通常そばを練るときには、水を使用するのですが、その水のかわりに「お酒」を使って練ったのが、 当店自慢の酒そばです!

お酒は富山で人気の地酒を使っています!
お酒の風味と香りが、 そば本来の風味と香りにからみあい、今までにないおいしいおそばができあがりました!

そば通、お酒通と呼ばれる方の中には、そばを食べ終わった後に
「残ったそばつゆに酒を少し足して飲む」のが最大の楽しみといいますよね。
まさしくお酒好きの方には、もう「たまりませ~ん!」っておいしさです♪

でも、お酒の苦手な方でもご安心くださいね! アルコール成分はそばを茹でた時にほとんど飛んじゃいますから、 お子様でも安心して食べられますよ!
(※但し、アルコールに弱い体質の方や小さなお子様はご注意ください。)


酒そばをゆでた後の蕎麦湯はえもいわれぬおいしさそばを茹でたあとのそば湯は ほのかなお酒の香りと旨味がでており、 それはそれはえもいわれぬおいしさ!
そばのお味から、香り、はたまたそば湯まで、 全てがたまらなぁ~いのが酒そばです♪

いつもの「そば」とは違う、ちょっとリッチなひと時を「酒そば」でお楽しみください♪


★これは珍しい!ひそかな噂を呼んでいる★こだわり酒そばこだわり酒そば

当店売れ筋NO1がこの「こだわり酒そば」です!


「こだわり酒そば」は、その名のとおり、
原材料にこだわり、厳選した、国産の原材料を使用しています!

そば畑■こだわり・その1:そば粉■
そば粉は、日本有数のそば処信州・安曇野(あずみの)産のそば粉を、 石臼にて、丁寧に、丁寧に、粗挽きしたものを使用しています。

北アルプス山麓長野県安曇野市一帯の地域は、 名水百選「安曇野わさび田湧水群」で知られる日本有数の名水の土地です。

清らかでミネラルが豊富な水によって、味も香りも素晴らしいそばが育まれます。


豊かな大地が育む小麦畑■こだわり・その2:製法
このそばの味と香りを最大限引き出すため、 製法にもこだわっています♪

そばの実を製粉する際、これまでの方法ですと、 機械製粉のためかなりの熱が発生し、 そば本来の香りが失われてしまいます。
昔ながらの石臼を使ってゆっくりと、丁寧に、丁寧に、挽くことによって、 そばの実の甘皮と呼ばれる部分をも一緒に挽きくるんだ、 そば本来の香り一杯の粗引きの「そば粉」にしています。

■こだわり・その3:小麦粉
小麦粉は北海道の大地が、育んだ小麦粉を使用しています!
北海道産小麦の特徴は、風味がよく、 その豊で広大な大陸同様、豊かな味わいを大切にし、そばの風味を最大限に生かす粉です。


富山県高岡市雨晴海岸より望む立山連峰■こだわり・その4:お酒
地元富山で人気の地酒を使用しています。

富山県は、三方を北アルプス立山連峰などの、山岳地帯に囲まれており、 中央には実り豊かな平野が広がっています。

富山湾、日本海へと開けている天然の巨大ダムともいえる山々からは、 一年を通じて豊かで、清らかな水が生まれるんです!
豊かな大地と清らかな水に育まれた米どころ富山は、日本でも有数の酒どころでもあります。

酒そば本舗の酒そばは、富山で人気の地酒を使用しています。

2022年04月30日

上戸と下戸 PART3 「秀吉と家康」


信長、秀吉、家康、光秀……。苗字を書かなくても名前だけでそれが誰であるかわかる人物の筆頭にあげることができる四人の戦国武将に、酒にまつわるエピソードが残っていないのは、この四人が実は下戸であったからではないかと俄か歴史学者(←私のことです)は考えるのですが、皆さんはいかが思われますか。

信長と光秀については昨日検証してみました。信長と光秀は下戸なるがゆえに損をしたというのが、私なりの結論です。

では秀吉と家康はどうか?


織田がつき 羽柴がこねし 天下餅
すわりしままに 食うは徳川

という狂歌が残っています。詠み人知らずと言われているこの歌、名が知れればおそらく捕縛され打ち首にされることは想像に難くありませんから、作者は意図的に名を隠したのに違いありません。しかし、よくできた歌ですね。戦国時代の終わりから江戸時代を迎えるまでを、三十一文字(みそひともじ)で見事に表している。そこで私も先の狂歌をまねて、このような歌を作ってみました。

織田が杜(も)り 羽柴醸(かも)せし 天下酒
すわりしままに 飲むは徳川

どうでしょうか。打ち首にはなりたくありませんが……。

杜氏の信長については、実は酒がからきし弱かったと、昨日取り上げました。酒宴で酒が飲めぬいら立ちもきっとあったのでしょう。突然に怒り出し愉快に酒を酌み交わす家臣を打擲したという信長は、酔っぱらって大暴れをする酒飲みより始末におえませんね。柴田勝家、丹羽長秀らの織田家重臣たちも、ただ手をこまねいて信長の勘気が、矛先を変えて自分に及ばぬよう知らぬふりを決め込むしかなかった。

「まあまあ、お館様、お平にしゃぁ~せ。明智殿が仰せのこと、なかなかにもっともでにゃーも」

あえて信長に足蹴にされるようなことをしゃあしゃあと言って出たのは、醸造人秀吉ではなかったか。信長の気質を知り尽くしていたばかりでなく、下賤の出である自分なら信長にいかように打擲されようと誰も何も思わない、むしろ愉快がる。台無しになってしまった酒宴を取り繕うことができるのは織田家中でこの秀吉ひとりと、自覚していた節があります。

さらには明智ばかりでなく柴田、丹羽らの重臣たちにも恩を売ることができるという計算も、信長が怒り出した瞬間に閃いていた。まさに用意周到な醸造人といえましょう。

さてその秀吉にまつわる逸話は数限りなくありますが、酒に関することとなるとなかなか資料も限られるようですから、秀吉もまた酒はそれほど強くなかったと断じてよさそうです。

しかし、酒席の場は決して嫌いではなかったに違いありません。酒を飲んでこそ人は本性をさらけ出すものと心得ていた。人が酒を酌み交わす場こそ戦場であるとの信念が、秀吉を天下人に押し上げたのではないか。

その秀吉も晩年になると、往年の面影もなくなったのは歴史が語る通り。死ぬ五か月前に京の醍醐寺三宝院で開いた花見では、宴席には千三百人もの女房をはべらせ、桜と酒と女を堪能したとか。花見に招かれた家康は、酒の場で本性をさらけ出してしまった老いた秀吉の姿を見て、ほくそ笑んだことでしょう。心の中でひそかにこう囁いたに違いありません。

「かような醸造人の作った酒ならば、飲めばさぞかし悪酔いをするであろうのう。しかし、くれてやるというものを貰わぬ手はないて。まあ、酒は腐るものではなし、ここは少しずつ、ゆるりゆるりとのう。その方が体にも良かろうて」

家康はこの四人の戦国武将の中でも七十三歳と最も長生きをしています。当時の薬に関する専門書である『本草綱目』や『和剤局方』を取り寄せ、自ら薬草を栽培しそれを調合して服用していたというくらいですから、健康にはひときわ注意を怠らなかった。江戸幕府の公式史書『徳川実紀』には家康が実践していた健康を保つ八か条が記録されているとか。

(一)粗食を常とする
(二)冷たいものは口にしない
(三)季節外れのものは食べない
(四)肉もほどほどに食べる
(五)体を動かす
(六)香をたく
(七)薬について学ぶ
(八)酒は「薬」として飲む

言わずもがなでありますが、最後の条文に注目してください。家康は「酒」は「薬」と考えていたのです。

同じ下戸であっても、秀吉は酒を「戦場」と考え、家康は「薬」と考えた。

う~む、この損得勘定、皆さんはどう捉えになられますでしょうや?






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2022年04月25日

過ぎたるはなお及ばざるがごとし


古来より「酒は百薬の長」といいます。実にいい響きを持ったことばですな。私は常々この心地良い響きを妻に言って聞かせるのですが、妻は私にこう言うではありませんか。

「あら、そういうものですか。では『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』って、どのように響きになって?」と。

このほど世界保健機関(WHO)が発表したところによると、二〇一六年に世界で死亡した人のうち約三百万人が、飲酒関連が原因と考えられるということです。「酒は百薬の長」とも語り継がれているのに、これほど多くの人が、飲酒が原因で命を落としているということは、これはやはり飲み過ぎたから、ということになるのでしょうか。

大雑把な計算になりますが、世界の人口を約七十億として、アルコールを摂取する人の数を約半数と考えれば、三十五億。

3,000,000 ÷ 3,500,000,000 = 0.086% 

という計算になりますから、なんだ、酒飲みの千人のうちの一人以下じゃないかと胸を撫で下ろした愛飲家の方、多いのではないでしょうか?

しかしながら、どうしても気になるのは、どれだけ飲めば「過ぎたる組」になるのかということ。WHOの定義によれば、大量機会飲酒とは純アルコール換算で六十グラム以上の飲酒機会を三十日に一回以上持つことと書いてあります。そこで早速調べてみました。

エチルアルコールの密度は、0.789g/ml ですから、 

60 ÷ 0.789 = 76 ml

ビールのアルコール度数は、概ね5%と考えれば、 

76 ÷ 5% = 1,520ml

ビール大瓶(633ml)二本半という計算になります。同様に清酒のアルコール度数を15%として計算すると、2.8合。すなわちビールなら三本、清酒なら三合をひと月に一回でも飲む機会があれば、WHOは大量機会飲酒と定めているということになります。

確かにわが国はWHOに加盟しているかもしれないが、私個人はWHOになど加盟していないと主張する人もいるでしょう。見上げた心意気と拍手喝采を送りたいところではありますが、清酒三合以上を飲んだ翌朝のことを常々経験している者からすれば、やはりそうであったかとうなだれるしかありませんね。

あなたはうなだれる口ですか、それとも清酒三合ぐらいではうなだれませんと豪語する口ですか?(爆笑!





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2022年04月23日

黒田節


古より酒にまつわるエピソードとなると、数限りなくあげることができますね。その多くは酒の席に絡む失敗談ということになりましょうが、どういうわけか我が国では、節度ある飲酒を心がけようとする常識人を冷ややかに見下す風潮があった。たとえしこたまに飲んでへべれけに酔っぱらったあげくに、致命的な失敗を犯したとしても、「酒のうえのことではないか。水に流してやれ」などと、ことを荒立てようとしないで来たのが日本人というものでした。

時代劇などでは、上座に座った殿様が「今宵は無礼講じゃ。存分に過ごすがよい」などと、上機嫌で言う酒宴のシーンをよく目にします。下座に居並ぶ家臣たちが「ははっ」と声を揃えて頭を下げながら、左右の同僚とニヤリと目を合わせるというシーンですよ。
酒を飲む前から、酒を飲んで無礼をはたらいても許すというのですから、このような飲酒の文化は外国人には理解しがたいのではないか。我が国だけに見られるユニークな文化ではないかと、私などは一人でニヤリとほくそ笑んでいます。

しかし、酒を飲んだうえのこととはいえ、こんな大失敗をした有名な殿様が一人いますね。

酒は呑め呑め呑むならば♪
日の本一のこの槍を♪
呑みとるほどに呑むならば♪
これぞまことの黒田武士♪

日本人であれば、たとえ酒を飲まぬ人であっても、福岡県に伝わる民謡・黒田節のこの文句を知らぬ人はいないでしょう。失敗した殿様とは、大酒飲みで名をはせた戦国武将・福島正則。確か大河ドラマでも取り上げられていたと記憶しています。

あるとき豊臣秀吉恩顧の武将・黒田長政が同僚の福島正則のもとに、家臣の母里友信を使いに出した。友信もまた酒好きであることを知っていた長政は、正則から酒を勧められても決して飲んではならぬと厳命したのであったが。

はたして友信が正則の前に進むと、案の定正則はしこたま酔っぱらっていて、しきりに友信に酒を勧めるではないか。主の命をかたくなに守って固辞する友信の前に、正則は巨大な盃になみなみと酒を注がせ、「黒田の家中の者は、これしきの酒も飲めぬというか。これを飲み干せば、何でもその方の望むものを褒美として取らすというに」と、口を滑らせてしまった。

「殿(長政のこと)、お許しくださいませ」と、心に念ずるや一息にその大杯を飲み干した友信は、褒美に正則が秀吉から下賜された自慢の槍をせしめたという逸話。

あっぱれな飲みっぷりを披露した母里友信は、黒田節に歌われた文句とともに歴史に名を残すことになりましたが、私の考えは少しばかり違っています。

天下人・秀吉から下された槍を別の者に褒美として与えたというようなことが、秀吉に聞こえたとしたら、まず切腹間違いなしとしたものでしょう。「これは酒のうえでのことでございますから、ご容赦くださりませ」などとは言っておられませんね。しかし、その後福島正則は、二度にわたる朝鮮の役、関ヶ原の合戦を生き抜き、江戸時代には安芸五十万石の太守に納まっている。
槍のことが秀吉に届いていないことなどまずないと考えられますから、この故事はある意味秀吉の器量の大きさ、懐の深さを際立たせているといえましょう。

「なに、そのようなことがあったと。たわけめ。ああ待て……。よい、よい。正則めには、以後酒を慎めと申し伝えよ」

秀吉の高笑いが聞こえてくるようではありませんか。








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2022年04月22日

フランス人とワイン PART2


「ドイツ人とビール」について語ったのであれば、「フランス人とワイン」についても語らねばならないとしたものでしょうということで、昨日に続き今日はPART2。

それでは本場フランスでは、ワインはどのように飲まれているのでしょうか?まず私は、フランスに限らずヨーロッパの国々は、ひじょうに水質が悪いゆえに、飲み水が手に入りにくい土地柄と理解していました。石鹸で手を洗おうとしてもなかなか泡立たない、いわゆる硬水しか得られぬ地だと。

日本は北半球にあって温帯モンスーン気候帯に位置しますから一年を通じて雨量が多く、ゆえに豊富な地下水がどこを掘ってもすぐ手に入る。日本人は「水と空気と安全はただと思い込んでいる」と言われる所以です。

そこでフランス人はどうしたか。ブドウに水を飲ませ、そのブドウの果実からワインを醸造し、ワインを飲むことで飲めぬ硬水の代わりにした。このように理解していました。すなわちフランス人は、ワインを水替わりにがぶがぶ飲むといったイメージを抱いていたのです。

こんなフランス映画を見たことがありました。郵便物を集配中の郵便局員が、郵便物を取り扱っている街の何でも屋(ドラッグストアのようなものか)に郵便物を集荷にきて、

「こう暑くちゃたまらん。一杯頼む」

と店のオヤジに言うと、オヤジは当たり前のように、樽からワインをグラスになみなみと注いで差し出したではありませんか。一息にグラスを空けた郵便局員、郵便物を預かることを忘れそのまま店を出ていってしまった。店の奥から

「しょうがない野郎だ」

と言いながら出てきたのは、その郵便局員の上司。こちらはすっかり出来上がってしまっている。・・・フランスは何といい国だと思いましたね。

フランスのワインの一人当たり平均年間消費量は、かっては約百リットルあったものが近年では約43リットルまでに減少したということです。43リットルってどのくらいの量なのだろう。早速計算してみました。ワインのアルコール度数は十五度くらいでしょう。日本の清酒の度数とほぼ同じと考えてよさそうです。酒一升が1・8リットルだから、 

43÷1.8÷12=2

ひと月二升という計算になります。月2升ということは、一日0.7合。飲酒する人が全人口の半数と考えれば、フランスのワイン飲酒量は、ほぼ同じ度数と考えられる日本酒に換算して、多めに見積もって一日一合半ということになりますね。

「いたって健全ではないか」

と思われた方は、酒飲み。私の妻に言わせれば、

「あらあら、ずいぶん飲むこと。酒飲みはどこの国でも同じだわ」

と、私を見やることでしょうね。

ある調査ではフランスのワイン消費量は、1980年では日常的に飲む人が約七割だったのに対し、年々減少し続け2010年には三割を切るという結果になってしまったとか。


フランスでも、年々ワインの消費量が減る一方だというのは、他国のこととはいえ寂しい限りではありませんか。日本でも清酒の消費量の減少傾向に歯止めがかからないと指摘されていますね。これはやはりどちらの国も若者のアルコール離れということが根底にあるのでしょう。

近頃の若者は、いったい何を飲んでいるのですかね。…なに?

「もっぱらスポーツドリンクを飲んでいます」

ですと。これはしたり。

う~む、さしずめマッカーサーの心境ですな。老兵は死なず、消え去るのみ。




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2022年04月20日

「最後までビール!」


今の若い世代の方ならそれほどでもないかもしれませんが、私ら中高年の世代であれば、飲み仲間と連れだって飲み屋に入ったなら、

「とりあえずビール!」

と言うに決まったものです。まあこれは、特に暑い夏の日ならとにかくのどの渇きを潤すのが先で、酒の肴を何にするかなど考えるのは後回しという意味合いもありましょうが、

「まずはビールで軽くやって、それでも体がアルコールを欲するようであれば(たいがい欲するに決まっているとしたものですが…)、焼酎なりウィスキーなり強い酒を後で注文します」

という意味合いを多分に含むものです。

アルコール大国と言われるロシアでは、つい最近までビールはアルコール飲料ではなく、清涼飲料に分類されていたという話を以前取り上げましたが、その意味ではロシアほどではないにしても、日本も同類項というもの。あながちロシア人を呆れた国民だと笑えません。これがビールの本場ドイツに行くとどうなるかといえば、

「とりあえずビール!」

と言うことは決してないというのです。ではどう言うかといえば、

「最後までビール!」。

ドイツ人のビール好きをこれほど端的に表すことばはないでしょう。何しろドイツには、2005年現在の調べで、1,350カ所ものビール醸造所があるといわれ、そこで作られるビールの種類は、5,000種にも上るということです。

5,000 ÷ 365 =13.7 という計算になりますから、ドイツのビールをすべて制覇するには、毎日飲んだとして13年半以上は掛かるというわけです。

「恐ろしか国ばい…」

なぜか博多弁になってしまった理由は問わないでください。

「アメリカとロシアの禁酒事情」では、法律で酒の製造を禁じたアメリカに触れましたが、ドイツではビールに関して「ビール純粋令」(Reinheitsgebot)という法律があるのをご存じか。なんと今から500年前に「ビールは大麦、ホップ、水によってのみ造るべし」(後に酵母が追加)と、バイエルンで定めたられたそうで、以降ドイツ人は忠実にこの法律を頑なに守ってビールを作り続けて来たのです。食品関連の法令としては世界最古ということです。

「どえりゃ~国もあったもんだでぇ~…」

なぜか名古屋弁になってしまった理由も深く問わないでください。

ところでドイツといえば、「ソーセージ!」とお答えになる人も多いでしょう。街を歩いていてすぐそれとわかる郷土料理の店に入れば、必ずその土地の特色あるソーセージを手軽に堪能できるとか。しかし何といってもおすすめは、ブラウハウス(ビール醸造所)に併設されたレストラン。作りたての地ビールと一緒にいただくソーセージは格別の味ということです。私もかなうものなら、一度はドイツに行ってブラウハウスを訪れてみたいものだと心より願っています。

そうそう、長期間にわたって培ってきた習慣は抜けぬといいますから、くれぐれも「とりあえずビール!」などと言って、ドイツ人に睨まれないようにしなければ…。「最後までビール!」ってバイエルン訛りのドイツ語で何というのか、誰か教えてくださいませんか。 




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2022年04月19日

『日本史がおもしろくなる日本酒の話』


昨日と一昨日、アメリカとロシアの歴史から酒事情を探ってみました。
法律を定めて酒を禁じてしまおうとしたのがアメリカ。ロシアは「しらふが正常」と大キャンペーンを張って、飲酒撲滅をはかった。

これはやはり人間の理性のなせるわざいうべきでしょうか。いや、理性を失うほど酒を飲んでしまうから酒を禁じなければならないのだろう。「しらふが正常」ということは、すなわち「酩酊が日常」ということになりはしまいか。しからば、少なくともアメリカとロシアの国民は、理性を有しているのかということからして疑わなければならないことになりますね。


それならば、日本ではどうか。わが国の民は、はたして理性を持っているといえるのでしょうか。

日本では古より、酒はお神酒と言われて来たことを思えば、神代の昔から飲まれて来たのでしょう。古代、中世で禁酒令という触れが出たという話は、聞いたことがありません。比較的資料が残りやすいもう少し後の時代を調べてみると、確かにそれに近い話も目に出来るようではあります。

『日本史がおもしろくなる日本酒の話』(上杉孝久著 サンマーク文庫)では、このような趣旨のことが書かれています。



戦国時代、三本の矢の逸話で有名な中国地方の雄・毛利元就。元就は家中の者が酒におぼれるのを厳しく咎めたといわれています。しかし全く禁じるというようなことはしなかった。酒好きなものには、自ら酒を注いでやりながら飲み過ぎを慎むように言い聞かせた。飲めぬものには、「酒など飲まずともよい」と、餅をすすめたと。

四国に目を転じると、土佐の国から身を起こし四国全土を平定した長曾我部元親の名を上げることができます。今の高知県は酒豪が多いことでも知られていますが、当時の土佐の国の領内で、酒を飲んでのトラブルが絶えなかったことに業を煮やした元親は、「禁酒令」を出した。
しかし、発布したはいいものの、当の本人が無類の酒好き。あるとき家臣の福留隼人に、城中に酒樽を運び入れているのを見とがめられた。
「民に酒を飲むなといっておいて、殿が密かに飲むとは道理に合わない」
と諌められ、出したばかりの禁酒令を取り下げたのだと。
福留隼人もきっと酒好きだったのでしょうね。





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2022年04月18日

最高機密


連日世界中の人々の耳目を集めているプーチン大統領について。プーチン大統領はいったいどうしたというのだろう?

その前にロシアについて、ロシアは言わずと知れたアルコール大国。厳冬期にはマイナス二十度、三十度にもなるので、ウォッカに代表される強い酒が好んで飲まれるお国柄というのは理解できるとしたものです。

ロシア語でウォッカは「Водка(ヴォートカ)」と表記するのですが、水のことをなんと書くかというと、「Вод(ヴォート)」だというのですから、なんともオソロシイ国ですね。日本人がたどたどしいロシア語で「水をくれと」言ったら、ウォッカが出てきたという話もあながち嘘ではないようです。

今年の冬は特に寒かったといいますから、もしかしてプーチン大統領はウォッカを飲み過ぎて、尋常さを失ったのではないかとしか思えぬようなかの"特別軍事作戦"です。

一般的にロシアの男性の平均寿命が先進国に比べて際立って低いのは、ウォッカを飲み過ぎるからだと指摘されています。何とか国民のアルコール摂取量を減らす手立てを講じなければ、国が亡ぶと考えた指導者が一人います。グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)の名のもとに、徹底して禁酒運動を推進したゴルバチョフがその人。

何しろ「しらふが正常」という合いことばを用いて大キャンペーンを展開したというのですが、酒好きな国民の大反発と酒税の大減収を招くことになってしまった。保守派が起こしたクーデターにより、指導者の地位を追われたばかりでなく、「ペレストロイカ」がソビエト連邦崩壊の最大原因とまで言われてしまうことになった。もしかしたらクーデターが発生したのは、権力闘争ばかりでなく、「ペレストロイカ」と同時に断行した禁酒運動にあったのではないかとさえ思いたくなりますね。

そのゴルバチョフの後を受けて新生ロシアのかじ取りを担うことになったのは、エリツィン。クーデターの戦車の前に立ちはだかって、モスクワ市民とともに断固民主運動の推進を訴えて、新しいロシア連邦の指導者となったエリツィンは、大の飲んべぇ。ウォッカが手放せなかったといいます。

さてここで民主運動とは全く関係がありませんが、ソビエト連邦時代からロシア連邦時代の主だった指導者を時系列に並べてみると、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフ、エリツィン、プーチンとなります。その頭髪に注目してみてください。禿、フサフサ、禿、フサフサ、禿、フサフサ、禿と交互に並んでいることがわかります。

これが下戸、上戸、下戸、上戸…、というようにも並べることができるとしたら、プーチンは大酒飲みのエリツィンのあとだから、下戸ということになるのですがね。

冒頭私は、プーチン大統領はウォッカを飲み過ぎて尋常さを欠いたのではないかと言いましたが、謎多きロシアのこと、プーチン大統領の酒量はどうなのか、調べてもなかなか掴むことができません。あるいは最高機密なのかもしれませんね。




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2022年04月17日

禁酒法


皆さん、アメリカのハリウッド映画「ゴッドファーザー」をご覧になられたでしょうか。マーロン・ブラントがマフィア・ファミリーのドンを演じていました。その息子役のアル・パッチーノもいい味を出していましたね。

この映画は、第二次世界大戦が終わった直後のニューヨークを舞台にしたマフィアの組織間抗争を描いた作品ですが、世界大恐慌が世界中の経済を大混乱に陥れた二十世紀初めころに、アメリカ・シカゴの闇世界に君臨したギャングの大ボス、アル・カポネをヒントに制作されたのではないかと、俄か映画評論家(←私のことです)は考えています。

アル・カポネは、いわゆるアメリカの「禁酒法」(アメリカ合衆国憲法修正第十八条)が施行された時代(一九二○年から一九三三年)に、北中部のシカゴを中心に勢力を拡大したギャング組織の大ボス。

修正第十八条は酒類の製造・販売・輸送・輸出入を禁じる法律ですが、カポネは法律の条文と正反対のことをやって、莫大な財を築いた。カポネはシカゴの市長や警察までをも抱き込み、巧みに賭場と闇酒場を支配したといいいます。

さてその禁酒法の効果はどうであったかというと、法律を定めて飲酒を禁じようとしても、酒を飲もうとする人は後を絶たず、かえって酒の需要が増大したというのですから、まったく皮肉なことです。

おかしなことに修正第十八条の条文には、肝心の「飲酒を禁ずる」とはひとことも書かれていないのです。まあ、酒を造ることを禁じてしまえば酒が手に入らなくなるわけですから、飲酒禁止を条文に明示しなくてもよいと考えたのでしょうか。

私に言わせれば、どうも最初から逃げ道を作っておいたのではないかと疑りたくなります。事実、この法律は施行当初から平然と無視され続けられたというのですから驚きます。お金持ちは法律が施行される前に、スコッチやワインなどありとあらゆる酒を買い占め、法律が施行された後も平然とそれを飲んだといいます。飲酒は禁じられていないのだから、飲んでも別段法律に違反していないといわけです。そこまでできなかった庶民は、家庭で手軽に入手できる砂糖から、秘かに酒を醸造したということです。これは製造を禁じた法律違反になりますが、どこの家でも密造を繰り返したがゆえに町の商店から砂糖が消え失せたとも伝わっています。

結局、悪徳と犯罪のない理想の社会を作ろうとした敬虔なキリスト教を信奉する一部の団体の思惑はみごとに外れてしまった。街中を歩く酔っ払いは減ることなく、逆に家庭内不和と暴力が増え、ギャングがはびこるだけの結果を招くことになった。世の悪徳も犯罪も決して無くなりはしなかったというわけです。




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2022年02月08日

酒にまつわるもろもろの話 PART25 「黒田節」



古より酒にまつわるエピソードとなると、数限りなくあげることができますね。その多くは酒の席に絡む失敗談ということになりましょうが、どういうわけか我が国では、節度ある飲酒を守ろうとする常識人を冷ややかに見下す風潮があった。

たとえしこたまに飲んでへべれけに酔っぱらったあげくに、致命的な失敗を犯したとしても、「酒のうえのことではないか。水に流してやれ」などと、ことを荒立てようとしないで来たのが日本人というものでした。

時代劇などでは、上座に座った殿様が「今宵は無礼講じゃ。存分に過ごすがよい」などと、上機嫌で言う酒宴のシーンをよく目にします。下座に居並ぶ家臣たちが「ははっ」と声を揃えて頭を下げながら、左右の同僚とニヤリと目を合わせるというシーンですよ。

酒を飲む前から、酒を飲んで無礼をはたらいても許すというのですから、このような飲酒の文化は外国人には理解しがたいのではないか。我が国だけに見られるユニークな文化ではないかと、私などは一人でニヤリとほくそ笑んでいます。

しかし、酒を飲んだうえのこととはいえ、こんな大失敗をした有名な殿様が一人いますね。

酒は呑め呑め呑むならば♪
日の本一のこの槍を♪
 呑みとるほどに呑むならば♪
これぞまことの黒田武士♪

日本人であれば、たとえ酒を飲まぬ人であっても、福岡県に伝わる民謡・黒田節のこの文句を知らぬ人はいないでしょう。

失敗した殿様とは、大酒飲みで名をはせた戦国武将・福島正則。確かNHKの大河ドラマ(どのシリーズであったか忘れましたが)でも取り上げられていたと記憶しています。

あるとき豊臣秀吉恩顧の武将・黒田長政が同僚の福島正則のもとに、家臣の母里友信を使いに出した。友信もまた酒好きであることを知っていた長政は、正則から酒を勧められても決して飲んではならぬと厳命したのであったが。

はたして友信が正則の前に進むと、案の定正則はしこたま酔っぱらっていて、しきりに友信に酒を勧めるではないか。主の命をかたくなに守って固辞する友信の前に、正則は巨大な盃になみなみと酒を注がせ、「黒田の家中の者は、これしきの酒も飲めぬというか。これを飲み干せば、何でもその方の望むものを褒美として取らすというに」と、口を滑らせてしまった。

「殿(長政のこと)、お許しくださいませ」と、心に念ずるや一息にその大杯を飲み干した友信は、褒美に正則が秀吉から下賜された自慢の槍をせしめたという逸話。

あっぱれな飲みっぷりを披露した母里友信
は、黒田節に歌われた文句とともに歴史に名を残すことになりましたが、私の考えは少しばかり違っています。

天下人・秀吉から下された槍を別の者に褒美として与えたというようなことが、秀吉に聞こえたとしたら、まず切腹間違いなしとしたものでしょう。「これは酒のうえでのことでございますから、ご容赦くださりませ」などとは言っておられませんね。
しかし、その後福島正則は、二度にわたる朝鮮の役、関ヶ原の合戦を生き抜き、江戸時代には安芸五十万石の太守に納まっている。

槍のことが秀吉に届いていないことなどまずないと考えられますから、この故事はある意味秀吉の器量の大きさ、懐の深さを際立たせているといえましょう。

「なに、そのようなことがあったと。たわけめ。・・・よい、よい。正則めには、以後酒を慎めと申し伝えよ」

秀吉の高笑いが聞こえてくるようではありませんか。





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2022年02月06日

酒にまつわるもろもろの話 PART24「猿酒」


今はすでに解散されたと聞いていますが、京都大学霊長類研究所の松沢哲郎元教授は、なんと一九九五年から十七年間に亘って、西アフリカ・ギニアのジャングルに野生のチンパンジーを追い求めて来たというのですから驚きです。よくぞご自身も野生化してしまわなかったものだと感心してしまいます。(笑!

松沢先生は、その十七年の間に二十回あまり野生のチンパンジーが酒を飲むところを観察したということです。ほぉ~、野生のチンパンジーが習慣的に飲酒すると!

酒というのは、現地の人がヤシの木の樹皮に傷をつけ、そこから出る樹液を容器にためて自然発酵させて作るヤシ酒のことなのだとか。これをチンパンジーが人の目を盗んで失敬するというのです。・・・まったく、けしからんサルですな。(笑!

これとよく似た話は、アフリカまで行かなくてもわが国でもあります。
古来より「猿酒」の存在が、日本各地に語り継がれていることご存じでしょうか。ただし、こちらの方は人の方がサルの作った酒を失敬するのですが。(笑!

サルが秋の間に木の実や果実を樹木の股や洞にため込んでおいたところに、雨露が溜まって自然発酵し、酒になるのだとか。これを見つけた木こりが、家へ持ち帰って布で濾して飲んでみると、これが結構イケたというではありませんか。・・・まったく、けしからん木こりですな。(笑!

まあサルにしてみれば、食料が乏しくなる冬のことを考えてのことでしょう。決して酒を造ろうという意図はないと思われますが、それでもアルコール発酵した木の実を食べるということはあるのでしょう。

サルの赤ら顔は、「猿酒」を飲んでいたからだという伝承があっても面白いと思うのですが、残念ながら私の調べた限りにおいてそのような話は見当たりません。

ヒトも酒を飲めば、サルも酒を飲む。ヒトもサルもアルコール分解酵素を体内に持ち合わせていて幸いでしたね。(笑!




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2021年06月02日

なぜ「ビールホールでビアを飲む」とは言わないのか?


ビールの美味しい季節となりました。

・・・今私は、「ビール」と言いましたが、「ビア」でも意味は通じなくもありません。ただ普通は、シュワッ・シュワッと泡を拭く苦みばしった黄金色をしたアルコール飲料のことは、「ビール」と呼ぶのが一般的でしょう。

しかし、そのビールをどこで飲むかとなると、「ビアホール」や「ビアガーデン」となってしまいます。「ビールホール」や「ビールガーデン」でビールを飲んでもちっとも美味しいように感じられませんね。なんだか気が抜けた生温かいビールを飲んでしまったかのようです。

まあそれにしても新型コロナウィルスの蔓延に伴って、「ビアホール」や「ビアガーデン」でジョッキを傾けることもなくなり、もっぱら自宅で「缶ビール」を空けるということになりましたが。・・・まったくほろ苦いですな。(苦笑!

あっ、ここでも同じこと。「缶ビール」とは言いますが「缶ビア」とは言いませんよね。考えてみると不思議です。

ウエブトピックスより
なぜ「ビールホールでビアを飲む」とは言わないのか?

そもそもビールが日本に伝わったのは江戸時代のこと。8代将軍吉宗の治世のときであったそうで、当然のことながら当時西洋と唯一交易のあったオランダからもたらされたということです。

「何のあちはひも無御座(ござなく)候 名はヒイルと申候」というビールに関する記述が残っているというのですから、興味深いですね。

・・・う~ん、味わいがなかったと。さすれば、吉宗にヒイルが献上されることもなかったのだろうか?


時は流れ明治の文明開化でビールは大衆にも広がり、昭和になって戦後間もなく芋を原料とする今で言うところの発泡酒・「ライナービヤー」が発売され、「うまくてやすくて倍酔える」と人気を呼んだということです。

「ライナービヤー」とは初耳ですね。そんな「ビヤー」が飲まれたんですね。

石原裕次郎を宣伝に起用したということですが、団塊の世代ならその「うまくてやすくて倍酔える」ビールを知っているかもしれませんが、団塊の世代以後に生まれた私は、石原裕次郎こそよく知っているものの、「ライナービヤー」なるビールは聞いた記憶もありませんね。

宣伝というなら、私らはもっぱら三船敏郎の「男は黙ってサ〇ポロビール!」の世代です。(笑!


さて、今宵は風呂上りに「ビール」を飲もうか、「ビア」を飲もうか。



それにしても、「ビアガーデン」や「ビアホール」で、みんなでワイワイ楽しく「ビール」を飲むことができるのはいつのことになるのでしょう・・・。






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2021年05月27日

「酒よ、お前もか!」


古来より「酒は百薬の長」といいます。・・・実に響きのいいことわざですな。(笑!

私は、日頃より女房にこのことわざの響きの良さを言って聞かせるのですが、女房はこういうではありませんか。「あら、そういうものですか。では『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』って、どう響きになって」と。(笑!


この会話からは、私はもちろんのこと、女房にしても、節度さえ守った少量の飲酒なら健康にとってプラスであると認識していることがわかろうというもの。誰だってそうですよね。


・・・ところがそうではなかった。

酒飲みに冷水を浴びせかけるような研究結果が、このほど発表されました。


ウエブトピックスより
量にかかわらず飲酒は脳に悪影響 英研究


飲酒に「安全な」レベルというものは存在しないという研究結果は、古より言い伝えらて来たあの響きのよいことわざを真っ向否定するものではありませんか。

喫煙こそ「百害あって一利なし」というのはわかりますが、そのたばこより酒毒の害が勝るというのですから、これはどうしたものか。

・・・「酒よ、お前もか!」。カエサルの心境ですな。(涙!

酒飲みは、ビールは痛風に悪いといえばワインならよいとか、焼酎ならよいなどと理屈を言いますが、主毒の弊害は酒の種類にも関係がないとはっきり断言していますから、まったく困った研究者がいたものです。(笑!


まあ、「こうなったらやけ酒をあおって憂さ晴らしだ」って、結局どうしても飲もうというのですから、酒飲みはどうしようもありませんね。(爆笑!







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2021年02月15日

酒にまつわるもろもろの話 PART21「武蔵野」


江戸の美味いものを題材にして、当時の人々の暮らしと生き様を鮮やかに蘇らせるエッセイ「大江戸美味草紙(むまそうし)」(杉浦日向子著)。今回はその「酔い覚めて」の章より題材をお借りしました。

江戸の住民は酒が大好きだったというお話。

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江戸人はどのくらい酒を飲んだか?杉浦さんは文献を徹底的に調べて、当時の酒量をこう計算しています。

上方から入って来る上質な清酒(下り酒)は、一樽が3斗6升入りで年間100万樽。当時の江戸の人口を100万人として、その半数が飲酒したとすれば、1人1年7斗2升、一か月6升。すなわち一日2合、休肝日なし。

このほかに関東の地酒が年間15~16万樽、焼酎が3万樽消費されたことを合わせると、まさに江戸は酒びたしの街であったと。江戸ッ子がおっちょこちょいで喧嘩ッ早いのは、いつもほろ酔いかげんだったからではないかとまで言わしめています。


武蔵野は月の入るべき山もなし 草より出でて草にこそ入れ


かって逢坂の関より東に足を踏み入れたことがなかったという平安の都人にとって、武蔵の国はへき地もへき地。人の住むところでないと思われていた。事実見渡す限り手つかずの原野が続いていた。すなわち、野見尽くせぬ地。呑み尽くせぬ・・・。

そこで呑み尽くせぬほどなみなみと酒の入る大盃のことを「武蔵野」というと。


この「武蔵野」を使った大酒飲み大会の記録が残っているのだとか。文化14年(1817年)3月23日、両国柳橋の料亭「万八桜」で行われたのだそうです。その記録たるや俄かには信じられないほどの大記録。

68歳の堺屋忠蔵さんは、3升入る「武蔵野」で3杯(9升)飲んだとか。かたや30歳の鯉屋利兵衛さんは、こちらはなんと6杯半(1斗9升5合)。さすがに酔いつぶれてしまったそうですが、この話には続きがあって、利兵衛さんは目覚めてから茶碗に水を17杯飲んだということです。

・・・よく目が覚めたものだと感心しますね。(笑!


酔い覚めのぞっとするとき世に帰り

あの世から急転直下生還したような気持、したたかに酔いつぶれ、目覚めたときの酒飲みの心中を押し測った川柳、見事ですね。

酔い覚めに水を17杯飲んだという利兵衛さん、閻魔大王に酒臭いと言われ、この世に舞い戻れたのでしょうかね?






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2021年02月05日

酒にまつわるもろもろの話 PART20「酒を勧む」


酒の起源はというと、少なくとも紀元前17世紀の中国にまで遡らなければなりませんから、そうする3700年余り人は酒を飲んで来たということになりますね。

人生のさまざまな場面で、人は酒の力を借りなければならなかった。惜別に酒はつきものですし、人は孤独ゆえに酒を勧めあうことで互いの絆をより固いものにしようとした。限りある人生ゆえに人は酒に頼らざるを得なかったとしたならば、酒は人の生き方に大いに関与して来たと断じてもよさそうです。


李白は山中で幽人と「一杯一杯復一杯」と杯を重ねあったというし、杜牧はやはり友と酒壺を抱えて斉山に登った「与客携壺上翠微(客と壺を携えて翠微に上る)」という。

王維は「勧君更盡一杯酒(君に勧む更に尽くせ一杯の酒)」と、異郷の地に旅立つ友を玉門関に送り、卯武陵は「勧君金屈卮」と言って友との別れを惜しんだ。

この晩唐の詩人・卯武陵の五言絶句・「酒を勧む」が、「漢詩酔談」(櫛田久治・諸田龍美著)の最後に紹介されていました。


  勧 君 金 屈 卮   君に勧む金屈卮(きんくっし)
  満 酌 不 須 辞   満酌(まんしゃく)辞するを須(もち)いず
  花 発 多 風 雨   花発(ひら)けば風雨多し
  人 生 足 別 離   人生別離足(た)る


金 屈 卮 とは宮中の宴会に用いられた淵に持ち手のついた酒器。僕はこれになみなみと酒を注いだのだから、これを君は拒んではいけないと言っている。ここまでされると、たとえ下戸であっても杯をぐっと一息に干さぬわけにはいかないとしたものです。(笑!

そして花には嵐が待っているし、人には別れ(死)が避けられぬのも理(ことわり)だと。


昭和の文豪井伏鱒二の名訳もいっしょに紹介されていたので、そのまま載せておきたいと思います。ご鑑賞ください。

  コノサカヅキヲ受ケテクレ
  ドウゾナミナミツガシテオクレ
  ハナニアラシノタトヘモアルゾ
  「サヨナラ」ダケガ人生ダ







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2021年02月04日

酒にまつわるもろもろの話 PART19「飲酒」


酒にまつわるもろもろの話と題して、「酒」が歌われている漢詩を見てきました。歴史に名を残す唐代の三大詩人、李白、杜甫、白楽天も酒をこよなく愛した。まあ、酒をこよなく愛したのは何もこの三人に限ったことではないのは言わずもがなですが、「酒」といえばどうしてもそのものずばり「飲酒」と題した陶淵明の五言古詩に触れないわけにはいきません。とりわけその古詩の中でも第五詩が有名ですね。 ちなみに陶淵明は唐代の三大詩人よりも300年ほど前に生きた東晋の詩人。三大詩人の詩に大きな影響を与えたといわれています。


 結廬在人境   廬(いおり)を結びて人境に在り
 而無車馬喧   而(しか)も車馬の喧(かしまし)き無し
 
 問君何能爾   君に問ふ 何ぞ能く爾(しか)ると
 心遠地自偏   心遠ければ 地 自ら偏(へん)なり

 採菊東籬下   菊を採る 東籬の下
 悠然見南山   悠然として南山を見る

 山気日夕佳   山気 日夕に佳(か)し
 飛鳥相与還   飛鳥 相ひ与に還る

 此中有真意   此の中に真意有り
 欲弁已忘言   弁ぜんと欲して已に言(ごん)を忘る


陶淵明について調べてみると、官職を望みながらなかなか叶わなかった唐代の三大詩人とは違って、陶淵明は20代の終わりにかの科挙の試験に合格して中央政府の官吏に登用されていますから、杜甫にしろ李白にしろ白楽天にしろ、陶淵明をことのほか尊敬したのは、もしかしたらその詩作の深さだけにあったのではないのではないかと、私などは想像してしまいます。そこにはある種の羨望があったのではないかと。

しかし驚くなかれ、41歳で官職を投げ打って、まさに「帰りなんいざ」と「帰去来の辞」を残して故郷に戻り、晴耕雨読の日々に徹した。隠遁生活を厭わず、詩や酒を愛し、悠々自適に暮らしたと聞けば、いかにも人生の達観者の印象を受けますね。唐代の三大詩人もそのような境地に近づこうとして、酒と詩に頼ったに違いありません。


さて予備知識はこのくらいにして、「飲酒」のその五を見ていきたいと思います。

私は「あれっ?」と思ったのですが、その五には「酒」という字が一時たりとも出てまいりません。しかし、酒を飲まずして粗末な庵の垣根に自生している菊を摘み、悠然と南山を望むというようなことができるわけがない。(笑!

ちなみに菊は花をめでようとして摘んだのではなく、食用にせんがために手折ったのだと、漢字学者・阿辻哲次氏はその著書「遊遊漢字学」で指摘されています。

う~む、「菊」「南山」そして「酒」と字を重ねれば、「仙人」という二文字さえ湧いてくるではありませんか。


官吏・官職に走り栄華・栄達に執着したのは、ははるか遠く昔のこと。今はこの辺境の庵が最良の住まい。杯中の酒を愛し詩を詠ずる日々の中にこそ、私は真意を見出したいのだ。これを何と表現すればよいだろう。


はあ~、・・・これはもう「達観派」とでも言うしかありませんね。






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2021年02月03日

酒にまつわるもろもろの話 PART18「内(ない)に贈る」


中国唐代の三大詩人といえば、李白、杜甫、白楽天。歴史にその名を残すこの三大詩人の酒癖について語ってきました。


白楽天を「理性派」
とすれば、杜甫は「苦悩派」であろうと。残されたもう一人、李白にいたっては皇帝からの招へいの使者が訪れても飲んだくれている方を選んで、「自 称 臣 是 酒 中 仙」と使者を追い返したというのですから、これはもう「超越派」としか言いようがないというのが私の主張です。

さて李白とその酒について語ろうとすれば、どうしても取り上げずにはいられないのが、妻に贈ったとされる五言絶句、「内(ない)に贈る」。ここにも桁外れの「超越」ぶりを見て取ることができます。


 三百六十日   三百六十日
 日日醉如泥   日日醉ひて泥の如し
 雖為李白婦   李白の婦と為ると雖も
 何異太常妻   何ぞ太常の妻に異ならん


当時の暦は一年が360日。毎日々々飲んだくれていたんですね。(笑!

泥とは泥虫(どろむし)のこと。私もしばしば経験するところの「泥酔」は、これが語源となったのでしょうね。(苦笑!

言わずもがなではありますが、「泥」と「妻」に韻を含ませるとは心憎いばかりです。

「太常(たいじょう)」とは宮中で天使の祖先を祭る役人のこと。
「漢詩酔談」
によれば、後漢の時代に太常であった周沢(しゅうたく)のことを指すとありました。

この周沢なる男とは、李白とは正反対の謹厳実直を絵に書いたような人物で、1年360日のうち359日禊(みそぎ)をして宗廟に仕えたというオソロシイ男。ある日体調をくずして斎宮で倒れた周沢を心配した妻が宗廟に赴いたところ、宗廟を穢したと言って烈火のごとく怒ったという逸話が語り継がれているということです。


「お前は俺の妻となったけれども、こんな酔っ払いですまないねぇ~。これじゃ~、まったくかの伝説となった漢の太常・周沢と同(おんな)じだ。うぃ~」って、すさまじい「超越派」としか言いようがありません。






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2021年02月02日

酒にまつわるもろもろの話 PART17「惜しむ可し」


中国唐代の三大詩人といえば、李白、杜甫、白楽天。歴史にその名を残すこの三大詩人の酒癖について語ってきました。白楽天は「理性派」、杜甫は「苦悩派」。李白にいたっては「超越派」とでもいうべきであると。

白楽天について、その酒を「理性派」と断ずる根拠を、私は「卯時(ぼうじ)の酒」に見出したのですが・・・。

次に杜甫の性癖についても語らなければならないとしたものですが、これが杜甫の生涯を調べれば調べるほど、なかなかに辛いものがあります。大唐帝国の官吏を志し仕官の道を探れど叶うことなく、貧しさから末の子どもを餓死させてしまうという悲惨な目にも合っている。

当時の官吏は、自分が思うところの政策を皇帝に献策するにも、それを五語・七語の韻を含んだ文にして書き表さなければならなかったといいますから、詩聖・杜甫にしてみれば、俺ほどのものがなぜにの思いが長い仕官の道の中で鬱積したのかも知れません。

官吏としての出世の道が叶わなかったというのは、杜甫に限らず李白にも白楽天にも言えることですが、若き日々なら別として晩年の3人を比べると、酒の力に頼ったのは3人とも同じ。それがただ一人杜甫のみ、何故に何故にの思いがよりいっそう強まって、苦しみから逃れることができずにもがいていたように私には見受けられるのです。

杜甫晩年の詩「惜しむ可し」にそれを探ってみましょう。


  花飛有底急  花の飛ぶこと底(なん)の急か有る
  老去願春遅  老い去っては春の遅きことを願ふ
  可惜歓娯地  惜しむべし歓娯(かんご)の地
  都非少壮時  都(すべ)て少壮の時に非ず
  寬心応是酒  心を寛(ゆる)くするは応(まさ)に是れ酒なるべし
  遣興莫過詩  興を遣(や)るは詩に過ぐるは莫(な)し
  此意陶潜解  此の意陶潜(とうせん)のみ解す
  吾生後汝期  吾が生汝が期に後れり


まず、私も「春の遅きことを願う」ものの一人です。(苦笑!

「心を寛(ゆる)くするは応(まさ)に是れ酒なるべし」も同感です。ただ「興を遣(や)るは詩に過ぐるは莫(な)し」と言えないところが、悲しくも残念なところです。(笑!


酒を飲んで詩を詠じ、憂さを晴らそうというのなら、どこが「苦悩派」なのだとお思いでしょう。しかし、それに続く結句の2節に杜甫の「苦悩派」たる所以を見いだせるというのが、私の主張です。

陶潜(とうせん)とは、陶淵明のこと。杜甫、李白、白楽天の生きた時代より300年余り前の東晋の詩人。唐代の三大詩人に限らず、後の世の詩人に大きな影響を与えたといわれていますね。李白にしろ白楽天にしろ、陶淵明を師と仰いだ節が見受けられるというくらいですから。

この国はついに私を見出すことなく、安禄山の乱によって国は乱れ、人心は荒み、私も老いさらばえてしまった。ただ酒を飲み詩を詠じ、憂さを晴らそうとする日々である。この気持ちを分かってくれる者など今のこの国には誰もいない。一人陶淵明だけであろうが、生まれて来るのが遅すぎた・・・。

「苦悩派」と呼ばずして、何と言いましょう。









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2021年02月01日

酒にまつわるもろもろの話 PART16「卯時(ぼうじ)の酒」


中国唐代の三大詩人といえば、李白、杜甫、白楽天。歴史にその名を残すこの三大詩人の酒癖について話題にしたことがありました。三人の残した「酒」にまつわる詩から、その飲みっぷりを探ることができるなんて、なんとも興味深いことではありませんか。

最初に、これはあくまで私流の解釈による分類であるということをお断りしておかなければなりませんが、白楽天は理性派、杜甫は苦悩派。李白にいたっては超越派であるというのが、私が下した三人の酒の飲み方。

まず白楽天から。理性派・白楽天はどのような詩を残しているのだろうか?

「漢詩酔談」(櫛田久治、諸田龍美著)に「卯時(ぼうじ)の酒」と題する五言三十四節からなる長歌が紹介されておりました。

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題名になっている「卯時(ぼうじ)」とは卯(う)の刻のこと。今の時刻でいえば午前6時ということになりますから、「卯時(ぼうじ)の酒」とは朝酒のことを指すことは、すでに「遊遊漢字学」で習っていましたから、すぐにわかりました。


冒頭を読んでみると、

佛法贊醍醐  佛法は醍醐を贊(ほ)め
仙方誇沆瀣  仙方は沆瀣(こうがい)を誇る 
未如卯時酒  未だ如かず卯時(ぼうじ)の酒 
神速功力倍  神速にして功力倍(ばい)するに

一杯置掌上  一杯掌上に置き
三嚥入腹內  三嚥(さんえん)にして腹內に入(い)る  
煦若春貫腸  煦(あたた)かなること春の腸を貫くが若(ごと)く
暄如日炙背  暄(あたた)かなること日の背を炙るが如(ごと)し

とあります。


仏法では乳製品の効用を讃え、仙人は沆瀣(夜露)を飲むことを奨めるが、たちまちのうちに効いてくる朝酒の方がずっといいとは、理性派を疑いたくなりますな。(笑!

ぐぅ~っと三口で杯を空けて、「かぁ~、五臓六腑にしみわたるようだ」と言っている白楽天の姿が目に浮かぶようです。

この詩は、白楽天晩年の隠せい時代に詠んだものといわれていますね。

大唐帝国の官僚として出世を望み、夢かなわず左遷の憂き目に打ちひしがれた若き日のことを顧み、思えばあのころは心安らぐときはなかった。しかし今は、この杯中の好物がいつも傍らにあるのだから幸せだと詠った白楽天は、やはり理性派といえましょう。








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2021年01月31日

酒にまつわるもろもろの話 PART15「儀狄(ぎてき)」


漢字学者・阿辻哲次氏が日経に連載された「遊遊漢字学」より、阿辻先生の博識をお借りして酒を発明したのは「杜康(とこう)」であると書きましたが、よく調べてみると初めて酒を造ったのは、やはり同時代の「儀狄(ぎてき)」で「杜康(とこう)」はそれを改良したという説もあるようです。

それがいったいいつの時代であったかというと、これが古代中国の「夏」王朝のことであったとあります。考古学では、古代中国で最も古い王朝は「殷」(紀元前17世紀~紀元前11世紀)であるとされています。「夏」はそれより前にあったとされる伝説上の王朝とされてきましたが、近年考古学的な発掘によって、その存在が確認されつつあるということです。

「儀狄」「杜康」の時代は、それよりはるか前の「夏」王朝のことになりますから、「酒」の起源は少なくとも紀元前17世紀までさかのぼらなければならないということになります。

しかし、「儀狄」「杜康」の名が今日まで語り継がれているということは、やはり「酒」の存在がそこにあったからで、そうすれば「酒」の存在そのものが、「夏」王朝の実在を立証していることになるというのが、俄か考古学者( ← 私のことです)の説です。(笑!


その夏王朝の始祖・禹王(うおう)に「儀狄」が酒を献上した時、禹王は「この人を陶然とさせる美味な飲み物によって、やがて国を滅ぼす者が出るであろう」と言ったとか。

有名な「酒池肉林」の故事は、殷の第30代紂王(ちゅうおう)の悪政を語ったものですが、禹王の予言を実証したのが後の世の紂王ということになるのでしょうか。


・・・う~む、壮大なロマンですな。それに「酒池肉林」というのも、何やら魅惑的なにおいが漂ってきますし・・・。( ← レッドカード!


今宵は「酒」を傾けながら、はるか昔、中国古代王朝の「夏」「殷」の時代に思いをはせてみるのも一興。しかし、殷の紂王のたとえもありますから、固く己を戒めているところです。(爆笑!






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2021年01月28日

酒にまつわるもろもろの話 PART14「杜康(とこう)」


漢字学者阿辻哲次氏が毎週日曜日の日本経済新聞の文化欄に投稿された「遊遊漢字学」。私は毎週日曜の朝は新聞が配達されるのを待ちかねるようにして、玄関先で立ったまま最終面から読むのを常としていました。


「遊遊漢字学」には「酒」にまつわる話題も数多く取り上げてあります。まずは、「杜康(とこう)」から。

現代においても酒の製造には醸造技術者である「杜氏(とうじ)」の存在がなくてはならないのは、誰でもご存知でしょうけれど、「杜康」が「杜氏」の由来であるということをご存知の方は、少ないのではないでしょうか。

その「杜康」とは古代中国で酒を発明した人物の名前であると、阿辻先生は教えてくれています。酒の歴史は非常に古く、すでに商(殷)の時代(紀元前17世紀~前11世紀)の遺跡から、酒壺や酒杯などが発見されているのだとか。

「酒」という字は、中央が膨れた壺から酒が滴っている様を表している象形文字だということも、「遊遊漢字学」で習いました。酒好きにはよだれが出て来そうな何ともたまらない風景ですね。(笑!

当時の中国では酒壺は「玉」や「貝」と同様に宝であったということも、以前やはり「遊遊漢字学」で習いました。


そこで「杜康」を調べてみると、「エチルアルコールを含む致酔性飲料」と、本来「杜康」が内包するものとは真逆のまったく無機質なことばが最初に出てきます。

「杜康」には「酒」そのものの意としても使われるってこと、初めて知りました。


かの『三国志』の英雄曹操も、酒を側から離すことができなかったようです。

何以解憂 (何を以てか憂いを解かん)
唯有杜康 (ただ杜康あるのみ)

という、曹操の「短歌行」の一節が最後に紹介されていました。・・・ふ~む、曹操をしても「杜康」に頼らざるをえなかったと。

しからば私も、今までよりもまして「杜康」の力に頼らなければならないとしたものです。(笑!


それにしても、「杜康」とは、なんとも響きのよい言葉を教えていただいたものです。

「おい、ちょっと杜康と語り合おうと思うんだが、いいだろう?」なんて、女房殿を煙に巻いてやろうっと。(爆笑!







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2021年01月27日

酒にまつわるもろもろの話 PART13「卯飲(ぼういん)」


漢字学者阿辻哲次氏が毎週日曜日の日本経済新聞の文化欄に投稿された「遊遊漢字学」。私は毎週日曜の朝は新聞が配達されるのを待ちかねるようにして、玄関先で立ったまま最終面から読むのを常としていました。

「遊遊漢字学」には「酒」にまつわる話題も数多く取り上げてあります。今回は「卯飲(ぼういん)」。


会津民謡の「会津磐梯山」では、小原庄助さんは、「朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上つぶした」と歌われていますが、これは放蕩をかたく戒めるというよりは、そんな身分になってみたいものだという庶民の羨望が多分に見て取れる歌です。

・・・まったく同感ですな。(笑!

この「朝酒」ということば、小原庄助さんの例えもあって、あまり印象の良い響きを持ち合わせていないようですが、「卯飲(ぼういん)」と書けば少しばかり違ってくるようです。っていうか、そもそも「卯飲」なんていうことば知りませんでした。「暴飲」なら、しばしば経験して痛い目に遭っておりますからよく承知しておりますが。(苦笑!

阿辻先生は、中国宗代の詩人陸游(りくゆう)は、官界から身を引いたあと、「晨起復睡眠」(あしたに起きまた眠る)という詩で、「衰翁卯飲易上面」(衰翁 卯飲すれば面に上りやすし)と詠んでいると、紹介してくれています。

そもそも「卯(う)」は、干支の4番目に来る字。干支は動物に当てはめられて数えられたりしますが、「ウサギ」にあたるいえばわかり易いですね。

昔から干支は、時刻を表すのにも使われて来たのもご存知でしょう。「草木も眠る丑三つ時」とは、「丑(うし)」の刻の三つ時。午前2時半から3時ころを指します。「寅(とら)」は午前4時。「卯(う)」は午前6時というわけです。

もうおわかりですね。「卯飲」とは、朝の6時から酒を飲むこと。「朝酒」そのもののことを指すのでした。(笑!

しかし、庄助さんはどうだったか知りませんが、陸游はあくまで役人をリタイヤしてからのこと。当時の中国の役人は午前6時が出所時間であったというのですから、陸游にしてみれば、「卯飲」は格別の味わいであったろうと想像できます。

現代のお役人の出勤時間は概ね午前9時としたものでしょう。当時の中国のお役人はなぜにそんな早くから出仕しなければならなかったかといえば、為政者(皇帝)が早朝に政務をとったからで、「朝廷」ということばもそれに由来すると阿辻先生は教えてくれています。

ほぉ~、そのような由来があったとは知りませんでしたね。朝廷に出仕する官吏の出勤簿を「卯簿」、登庁して点呼を受けることを「応卯」というのも耳に新しいことです。


・・・う~む、「卯飲」ですか。今度の休みの朝、女房殿に言ってみようかしらん。

「お~い、久しぶりの休みだ。『卯飲』としゃれ込もうと思っているんだが」なんて。

・・・くわばら、くわばら。

「触らぬ神に祟りなし」と言いますからね、あとから面に上った赤ら顔をとがめられてはたまりません。(爆笑!







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2021年01月26日

酒にまつわるもろもろの話 PART12「玉」、「貝」、「酒」


漢字学者阿辻哲次氏が毎週日曜日の日本経済新聞の文化欄に投稿された「遊遊漢字学」。私は毎週日曜の朝は新聞が配達されるのを待ちかねるようにして、玄関先で立ったまま最終面から読むのを常としていました。

本日取り上げるのは、「宝」。

まあ、普通日本人なら「宝」という漢字を知らぬ人はいないでしょうが、「宝」はかっては、「寶」と書いたということをご存知の人は、少ないのじゃないか。・・・っていうより、そんな知識のある人は、阿辻先生ぐらいでしょう。(笑!

阿辻先生の博識をお借りすれば、「寶」は、「宀」(家の屋根)と「玉」(ぎょく)と「缶」(酒壺)と貝(財産を表す)からなる漢字。すなわち、家の中に宝石と酒壺と金銭があることを表しているのだと。

「玉」は希少な石とわかりますね。「貝」も財産を表す字に使われていますからこれもわかります。しかし「缶」は、「ほととぎ」とよばれる胴の中央が膨らんだ壺のことだとは知りませんでした。

中央が膨らんだ壺に何を入れて貯め込んだかといえば、酒でしょう。・・・ほぉ~、古の中国の人はエライものですな。宝石と銭金はわかるとして、「酒」も貯め込むべき貴重品だと言っている。(笑!

阿辻先生は、古代においてはそれらはたしかに素晴らしい財産だったろうが、現代の目から見れば、それを「宝物」と考えるのはあまりにも即物的な認識であるとおっしゃっていますが、私の考えは少々違います。

宝石や金銭にこだわるのは確かに即物的であるの指摘は免れないでしょうが、酒にひと時の安らぎを求めるのも即物的と断じるのは、あまりにもせつないというものではありませんか?

胴の中央が膨らんだ壺の中身の減り具合を気にかけた古の中国人の気持ち、私にはよぉ~く理解できますが・・・。(笑!

阿辻先生、いかがでしょう?








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2021年01月25日

酒にまつわるもろもろの話 PART11「酒は天の微禄(びろく)なり」


漢字学者阿辻哲次氏が毎週日曜日の日本経済新聞の文化欄に投稿された「遊遊漢字学」。私は毎週日曜の朝は新聞が配達されるのを待ちかねるようにして、玄関先で立ったまま最終面から読むのを常としていました。

今日取り上げるのは、「酒」弁護の成句の数々。


・・・私も常々「酒」を弁護している者の一人です。(笑!

もしかしたら、阿辻先生も奥様と日ごろこんなやりとりをなさっているのではないかと想像しています。


「古来より『酒は百薬の長』というではないか」

「あら、『過ぎたるは猶及ばざるがごとし』ともいいましてよ」


私は今「古来より」と言いましたが、これが一体いつから言われて来たのかというと、なんと古代中国前漢の歴史を記した「漢書(かんじょ)」に見えるのが最初だと、阿辻先生は教えてくれています。

「漢書」には、こう表されているのだそうです。

「それ塩は食肴(しょくこう)の将なり。酒は百薬の長にして、嘉(よ)き会の好(よしみ)なり。鉄は田農の本なり」

さすれば、以来2000年以上も前から、酒飲みはこの成句を珠玉のごとく大切に温め、飲酒の弁護に努めて来たということになりますね。

また漢書にはこの他にも、「酒は天の微禄(びろく)にして、帝王の天下を養うゆえん」とか、「百礼の会は酒あらざればおこなわれず」という文句もあるのだとか。

・・・う~む、「酒は天の微禄(びろく)」とは、これまたいい響きではありませんか。(笑!

帝王が民草の為に政をおこない国を治める唯一の対価として、天が与えたわずかばかりの褒美が酒ということですから、早速妻に言って聞かせなければなりませんな。


「たとえ過ぎたると雖も、酒は天の微禄なれば、わが家を養うゆえんなり」と。

・・・ダメか?(大爆笑!








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Posted by 酒そば本舗店長 at 07:48Comments(0)

2021年01月24日

酒にまつわるもろもろの話 PART10「憶良らは 今は罷らむ・・・ 」


「酒」をテーマにした過去の記事を編集して、「酒にまつわるもろもろの話」と題して、一日読み切りでショートエッセイ風にお届けしています。


酒は「お神酒(おみき)」というくらいですから、酒の歴史を遡ればそれこそ神代の昔からということになりましょう。古来より歌にも数多く詠まれています。わが国最古の歌集「万葉集」から拾ってみますと、大伴旅人はこのように詠んでいます。

第340番
古の 七の賢しき人たちも 欲りせしものは 酒にしあるらし

第341番
賢しみと 物言ふよりは酒飲みて 酔ひ泣きするし 優りたるらし


山上憶良は、自らの名を歌に詠み込んでいますね。

第337番
憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 我(わ)を待つらむそ


NHKの大河ドラマ「麒麟が来る」の第36回をご覧になられましたでしょうか。光秀が万葉の歌人の中で誰が一番の詠み人かと問われるシーンが出てまいりましたね。時の帝・正親町天皇の意を受けた側近の三条西実澄が、光秀の人格を探ろうとして問うたシーンです。

光秀は、山上憶良であると躊躇なく答えています。その理由はとさらに問われて、憶良はこの国と帝の、そしてさらには己の家族の安寧と平和を願った歌を数多く残した詠み人だからと答えておりました。



結婚して子供ができて・・・、仕事上での付き合いの酒席の場で、さんざんに酒を無理強いされたということ誰だっておありでしょう。


・・・早く家へ帰って妻や子の顔が見たい。

私も同様な理由で山上憶良の歌が一番好きです。






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Posted by 酒そば本舗店長 at 08:25Comments(0)

2021年01月23日

酒にまつわるもろもろの話 PART9「赤ワインのポリフェノール」


「酒」をテーマにした過去の記事を編集して、「酒にまつわるもろもろの話」と題して、一日読み切りでショートエッセイ風にお届けしています。

まったく酒飲みというものは始末におえないもので、「酒は百薬の長」といっては酒を飲み、ビールは痛風に悪いといえば、ワインなら大丈夫と言ったり、とにかくなんとかして飲もうというわけです。

フランス人は同じ動物性脂肪を多く摂取する他の欧米諸国の人々に比べて、心臓疾患で死亡する人が少ないのは、普段からよくワインを飲むからだと言われています。ワインに含まれるポリフェノールが血中のコレステロールを低下させたり、高血圧を予防したりする効果があるというわけです。

しかし、そんなことはなかったという酒飲みをがっかりさせる研究報告がこのほど発表されたという話題。


ウエブトピックスより
赤ワインのポリフェノールに健康への効果確認できず

私なんぞは声を大にして主張したいものです。ならば、フランス人の心筋梗塞の死亡率が顕著に低いのはどうしてなんだと。


その答えはいたって単純にして明快でした。フランス人はワインの飲みすぎで肝臓疾患で死ぬ人が多いから、相対的に心臓疾患で死ぬ人が少ないだけなんだって、まったく酒好きに冷や水を浴びせるようなことを言ってくれるものです。(苦笑!


こうなりゃ、焼け酒をあおるしかありませんね。・・・って結局飲もうというのですから、どうにも始末におえません。(爆笑!



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