★今街で噂の★酒そばとはこんなそば 酒そばってこんなそば

通常そばを練るときには、水を使用するのですが、その水のかわりに「お酒」を使って練ったのが、 当店自慢の酒そばです!

お酒は富山で人気の地酒を使っています!
お酒の風味と香りが、 そば本来の風味と香りにからみあい、今までにないおいしいおそばができあがりました!

そば通、お酒通と呼ばれる方の中には、そばを食べ終わった後に
「残ったそばつゆに酒を少し足して飲む」のが最大の楽しみといいますよね。
まさしくお酒好きの方には、もう「たまりませ~ん!」っておいしさです♪

でも、お酒の苦手な方でもご安心くださいね! アルコール成分はそばを茹でた時にほとんど飛んじゃいますから、 お子様でも安心して食べられますよ!
(※但し、アルコールに弱い体質の方や小さなお子様はご注意ください。)


酒そばをゆでた後の蕎麦湯はえもいわれぬおいしさそばを茹でたあとのそば湯は ほのかなお酒の香りと旨味がでており、 それはそれはえもいわれぬおいしさ!
そばのお味から、香り、はたまたそば湯まで、 全てがたまらなぁ~いのが酒そばです♪

いつもの「そば」とは違う、ちょっとリッチなひと時を「酒そば」でお楽しみください♪


★これは珍しい!ひそかな噂を呼んでいる★こだわり酒そばこだわり酒そば

当店売れ筋NO1がこの「こだわり酒そば」です!


「こだわり酒そば」は、その名のとおり、
原材料にこだわり、厳選した、国産の原材料を使用しています!

そば畑■こだわり・その1:そば粉■
そば粉は、日本有数のそば処信州・安曇野(あずみの)産のそば粉を、 石臼にて、丁寧に、丁寧に、粗挽きしたものを使用しています。

北アルプス山麓長野県安曇野市一帯の地域は、 名水百選「安曇野わさび田湧水群」で知られる日本有数の名水の土地です。

清らかでミネラルが豊富な水によって、味も香りも素晴らしいそばが育まれます。


豊かな大地が育む小麦畑■こだわり・その2:製法
このそばの味と香りを最大限引き出すため、 製法にもこだわっています♪

そばの実を製粉する際、これまでの方法ですと、 機械製粉のためかなりの熱が発生し、 そば本来の香りが失われてしまいます。
昔ながらの石臼を使ってゆっくりと、丁寧に、丁寧に、挽くことによって、 そばの実の甘皮と呼ばれる部分をも一緒に挽きくるんだ、 そば本来の香り一杯の粗引きの「そば粉」にしています。

■こだわり・その3:小麦粉
小麦粉は北海道の大地が、育んだ小麦粉を使用しています!
北海道産小麦の特徴は、風味がよく、 その豊で広大な大陸同様、豊かな味わいを大切にし、そばの風味を最大限に生かす粉です。


富山県高岡市雨晴海岸より望む立山連峰■こだわり・その4:お酒
地元富山で人気の地酒を使用しています。

富山県は、三方を北アルプス立山連峰などの、山岳地帯に囲まれており、 中央には実り豊かな平野が広がっています。

富山湾、日本海へと開けている天然の巨大ダムともいえる山々からは、 一年を通じて豊かで、清らかな水が生まれるんです!
豊かな大地と清らかな水に育まれた米どころ富山は、日本でも有数の酒どころでもあります。

酒そば本舗の酒そばは、富山で人気の地酒を使用しています。

2017年03月08日

雛の節句も過ぎたというのに・・・。


弥生3月を迎えてウキウキ心を弾ませたのは少々早かったようです。

昨日の夕方よりみぞれ交じりの雪がちらほら舞い出したと思っていたら、今朝起きてみれば一面の銀世界。



雪国当地北陸富山では、例年このようなことが必ずあるというのに、少しばかり浮かれ過ぎていたのそしりは免れないようです。


ぬばたまの黒髪にほふ乙女らの
祝う日も過ぎ雪のふりける





◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
  


2017年02月09日

我もまた孑孑(けつけつ)たらん・・・。


「孑孑」という漢字ご存知だろうか?

子供の「子」の字の最後の画を跳ねて書いたものを二文字続けたことばになりますが、これを正しく読める方そういらっしゃらないのではないか。


「ぼうふら」と読むのだそうです。蚊の幼虫のことです。

「ぼうふら」、同じ字を重ねてどうして前後違う読みをするのかと思ったら、もともとは後の方の「孑」の最後の跳ねは、左側が突き出ていないのが「ふら」と読ませる本来の字なのだそうです。私のPCでは変換できませんでした。まるでハングル文字のようですな。

辞書をひくと、「けつけつ」と読ませて「孑孑たり」という形容動詞でつぎのような意味が書いてありました。

1 一人ぬきんでたさま。2 孤立するさま。3 小さいさま。こせこせしているさま。

そうすれば、「ぼうふら」は3の意味からきているのだなということがわかりますが、1と2の抜きん出た孤高の存在と言うのは、ある意味魅力的ですね。


歌人・小林 光 著『うたの動物記』に取り上げられていたのが、この「孑孑」。



意外やボウフラは俳句によく読まれているそうで、夏の季語になっているとは知りませんでした。


書かれていた3句をご紹介したいと思います。いづれも有名な俳人の手になるものです。

孑孑の蚊になる頃や何学士  子規

けふの日も棒ふり虫よ翌(あす)も又  一茶

我思ふままに孑孑うき沈み  虚子


私が感じるところ、時代は違えども日本の生んだ優れた俳人3人が3人とも、「孑孑たり」の1.2の意味を意識しているのではないか?

名は体を表すといいますが、子供の頃にそれほどまでに抜きん出ているのなら、蚊に変わったときはどれほどのものになっているのかと皮肉ったのが子規。

一茶は、2のほうに力点を置いたのではないか?孤高の我とボウフラを重ねて笑ってみせた。

我とは虚子でもありボウフラでもあるのか?浮き沈みするボウフラに存在を暗示させます。


そこで私も一首、恥を忍んで・・・。

我もまた孑孑(けつけつ)たらん
   人生の往路歩みて久しける身を







◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
  


2016年12月07日

夜明け前 PART2


冬を実感するのは、何も寒くなるから、雪が降ってくるからと限ったものではありませんね。

冬至を前にして今が一番日の短い時期、今朝7時少し前でこんな状態です。夜明け前の静寂が支配する一時こそ、冬の到来を感じさせるような気がします。




誰しも青春の多感な時期を過ごしたはずでしょう。
私にも確かにそんな時があった。よく口ずさんだこんな歌を思い出しました。
ずいぶん古い歌ですね。たしか私が高校生のころ耳にしたと思うのです。

それが岡林信康というフォークシンガーと知ったのは、ずいぶん後のことで、友達がギターをかき鳴らしながら、この歌を歌っていたのを聞いて、かっこいいなぁ~とうらやましく思ったものでした。




友よ 夜明け前の闇の中で
友よ 戦いの炎を燃やせ

夜明けは近い 夜明けは近い
友よこの闇の向こうには 友よ輝く明日がある


友よ 君の涙君の汗が
友よ報われるその日が来る

夜明けは近い 夜明けは近い
友よこの闇の向こうには 友よ輝く明日がある

    .
    .
    .
    .



人はこのような自然の神々しさに出会うとき、大きな感動を覚えずにはいられませんね。きっと誰しも闇の中を手探りで歩いているからなのでしょうか。   




◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
  


2016年09月28日

焼き接ぎ屋 夫婦喧嘩の角に立ち


お奨めの一冊、「お江戸でござる」(杉浦日向子著 新潮社)より。

物質文明にどっぷりと浸かった現代では見られぬ、当時の江戸市民の"心豊かな生活ぶり"を窺い知ることが出来るこんな江戸川柳が紹介されておりました。

【送料無料】お江戸でござる [ 杉浦日向子 ]

【送料無料】お江戸でござる [ 杉浦日向子 ]価格:515円(税込、送料込)




焼き接ぎ屋 夫婦喧嘩の角に立ち



茶碗が割れたからといって、捨ててしまうのが現代人。ところが、江戸人は、しっかり取っておいて「焼き接ぎ屋」がやって来るのを待つのです。

おそらくこんなやり取りが長屋の辻で交わされたのでしょうね。


「割れ物は、ないかぇ~、焼き接ぎ屋でござぁ~い」

「ちょいと、この茶碗接いでおくれっ!」

「あいよ、只今すぐに。・・・それにしても御かみさん、派手にやりやしたねぇ~」

「そうとも、ったく、うちの宿六ときたら。・・・イヤだねぇ~、何を言わせるんだい」



白玉粉と呼ばれた粉(今でいう水酸化カルシウム)にフノリと粘土を加えたもので、割れた瀬戸物を接着して、熱を加えて焼き接ぎ、元どおりに修正してくれるのが、「焼き接ぎ屋」さんというわけ。

商売上手の「焼き接ぎ屋」は、夫婦喧嘩のあとにやって来たというのが、先にあげた川柳だったのです。


なるほど、感性豊かな江戸人の生活は、『ゆ・た・か』に相違ありません。

私も叶うことならば、そんな長屋の角に立って、住人の様子を窺ってみたいものです・・・。




◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ

  


2016年09月17日

「そば通」と呼ばれるには・・・。


そば通(ソバツゥー)・・・なんていい響きでしょう。

私もいつかは、そのように呼ばれてみたいと思うのですが、かなわぬ思いに、そんな憧れにも似た『そば通の本』(サライ編集部 編 小学館文庫)を手にしました。




意外にもそばは俳句にも多く読まれていることを知りました。

そうか、そば通と呼ばれるには、文学にも精通しなければならなかったのか!



たくさんあげてあった俳句の中から、私にもそれが誰だか分かる人が読んだ句を抜粋します。


蕎麦はまた花でもてなす山路かな     芭蕉

落つる日のくくりて染まる蕎麦の茎    蕪村

我里はつきと仏とおれと蕎麦       一茶


さらに時代が新しくなって、

山越えて三島に近しそばの花       子規

帰り見れば蕎麦また白き稲みのる     漱石


・・・う~む、何となくそば通になれたような、なれないような??



われもまた通をよそほい喰う蕎麦の 
   ことのは長く短く切れにし





◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ

  


2016年08月28日

日の出を追って・・・。


今朝の日の出。時系列に撮った写真3枚。

朝4時半東の空が薄明るくなり、北アルプス立山連峰の稜線がシルエットのように浮かび上がって来ました。



待つこと15分余り。茜色に染まり出した雲が夜明け前の幻想的な一瞬を際立たせます。



さらに待つこと10分余り、今日の日の出は5時少し前。



写真の中央、用水路の延長線上にある山がアルピニストの憧れ、北アルプスの秀峰・剣岳。写真の向かって左側が北で富山湾の方角、右側が長野県境から岐阜県境に続く山岳地帯。日の出は、夏至から冬至、冬至から夏至へと、この屏風のようにそびえ立つ北アルプスの稜線を移動します。

春分の日と秋日の日には、剣岳の頂き付近から太陽が顔を出しますが、私の観測によれば年によって微妙に左右にずれます。地球の公転軌道が一定ではないということなのでしょうか?

まあ、わずか2年半か3年足らずの俄か天文学者( ← 私のことです・・・笑!)の観測ですから、正確ではないことを予めことわっておかなければなりません。


あかねさす日の昇りけるあと追えば
悠久のしじま 迫りくるなり


ところで日の出の観測といえば、私には小学生の時のほろ苦い経験を思い出すのですが、これはまた日をおいてご紹介したいと思います。




◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
  


2016年08月13日

コーヒールンバ♪


普段何気に飲むコーヒー、貴方は一日何杯飲みますか?

私らが子どものころは、コーヒーといえば、タバコや酒と同じように大人が飲む嗜好品で、褐色のただただ苦いだけの飲み物は、飲みすぎると胃をこわすだけでなく、カフェインによる中毒症状を引き起す不健康な飲み物というように思われていたものでしたが、昨今はコンビニの店頭で入れてくれる挽き立てのコーヒーが大ヒット商品になるほど、誰でも手軽に口にできる飲み物になりました。

そこには不健康といったイメージは微塵も感じさせませんが、事実コーヒーは体によいという報告がこのほど国立がん研究センターから公表されました。

ウエブトピックスより
コーヒー3~4杯で病死の危険が急減 国立がん研究センターなどが公表


そもそもコーヒーが飲まれるようになったのは13世紀に遡ることが出来るそうですが、元々は塞いだ気持ちをやわらげる効果を期待する薬として飲まれたのがコーヒーの起源だそうです。歌にもありますね。


昔アラブの偉い お坊さんが♪
恋を忘れた あわれな男に♪

しびれるような 香りいっぱいの♪
琥珀色した飲みものを教えてあげました♪

やがて心うきうき とっても不思議このムード♪
たちまち男は 若い娘に恋をした♪


・・・ナルホド、そうしてみればアラブの偉い坊さんは、確かに偉かったのだなと。(笑!

かく言う私も、今入れたてのコーヒーを飲みながら、この文章を打っています。私も多い日で1日3~4杯、1杯も飲まないという日はまずないようです。

そうすれば脳血管障害や呼吸器障害で死ぬ確立は、少しは回避できているのかなと喜ばしく思っています。

ただ「心うきうき」して「たちまち 若い娘に恋をした」という経験が皆目ないのは残念なことではあります。一度くらい「とっても不思議なムード」に浸ってみたいものだと。( ← イエローカード!・・・爆笑!





◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
  


2016年07月25日

夕顔の花


昨日の夕方帰宅の途中、かねてより気になっていた花を撮りました。
大人の手の平をかざしても余ろうかという大輪、これは夕顔でしょうか?

2016072509540000.jpg


夕顔といえば、高校の古文の時間を思い出しますね。源氏物語を読ませられたのは確か高校3年の時。丁度今ごろ、夏休みの補習授業の時間ではなかったか。ずいぶんと難儀したものでした。


心あてに それかとぞ見る 白露の
  光添へたる 夕顔の花

光源氏が従者に市井の家とみえる家の垣根に咲く夕顔の花を摘ませに行かせたところ、その家に住む女(夕顔の君)が文にしたため寄越した歌。

その歌に光源氏はこのように返している。

寄りてこそ それかとも見め たそかれに
  ほのぼの見つる 花の夕顔


古文の先生が言ったものでした。平安時代の貴族は、歌を詠めなければ色恋もかなわなかったと。

「それかとぞ見る」と「それかとも見め」の「見る」の活用形の違い、試験に出すからなとも。


貴方はあの光源氏の君でいらっしゃるのでしょ。白露に光り輝く夕顔の花のように美しく高貴でいらっしゃる。

実際に会って間近に寄ってみなければ、夕顔とはわからないものです。ボクと会ってくださいませんか。


先生は、「君たちもこのくらいのやり取りができてこそ、一人前というものだ。まだまだ青い。わっ、はっ、はっ!」と大笑したのでした。


青きよき かのころ偲ばる 夕顔の花




◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ

  


2016年07月09日

とうもろこし


この季節好きな食べ物を一つあげよと言われれば、迷わず"とうもろこし"と答えたい。

子供のころ家の畑(といっても猫の額ほどの家庭菜園)で、祖母が必ずとうもろこしを植えていた。それが実をつけるのは、夏休みに入るころであったろうか?

学校が休みになるのと、とうもろこしが食べられるのと、7月は一年で一番楽しみな月だったような気がします。

まったくお盆の前に「盆と正月が一緒くたにやって来る」ように感じたものです。(笑!

それが最近は農作物が一年中出回るようになり、季節感がまったく薄れてしまいました。今の子供たちは何を楽しみに7月を迎えるのだろう?


知り合いの方から、初物のとうもろこしをいただきました。早速茹でて食べることに。


とうもろこしがゆで上がりました。粗塩をふりかけて・・・。



近頃のとうもろこしは品種改良が進んで、粒も大きく揃っていて、しかも甘くて柔らかいですね。私の祖母の畑で採れたとうもろこしは、粒は小さく色も不揃いで固かった。虫食いの後もたくさんあった。


私が中学1年のとき亡くなった祖母は、やはりこのように塩ゆでにして私たち幼い兄弟にとうもろこしを与えてくれたのでした。祖母はとうもろこしを房から一粒二粒指で掘り起こして口に入れては、その年のとうもろこしの出来を探るのが常でしたが、決まってそれ以上食べようとはせず手にしたとうもろこしを半分に折って、それぞれを私たちに与えてくれたのでした。


ところでとうもろこしって、茹で上がりのアツアツを房ごとかぶりついてこそ美味しいもの。一粒ずつ実を掘り起こして口に入れたところで、何を食べているのかわからないですよね。

今私もあの時の祖母の年齢に近づいてようやくその訳がわかりました。祖母は歯の具合が悪くて房ごとかぶりつくことが出来なかったのだと。



もろこしの固さに祖母の偲ばるる







◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ

  


2016年06月16日

梅雨と麦秋 PART3


当地北陸では収穫の時期が梅雨と重なるため適さないと言われている小麦が、今年はなぜか多く作付けされているようです。

私が気にかけていたとおり梅雨の雨に穂先を濡らしてしまった小麦畑の他にも、ずいぶんこげ茶色をした麦畑が残っているのを見かけることができます。

車で通りがかりにコンバインがうなりを上げているのに気づき、車を脇に寄せて撮影しました。私が判断したように、やはり小麦も十分結実していたようです。

刈り入れ.jpg


畑の脇におられた農家の方に聞いてみました。

「これは小麦ですよね?落穂を写真に撮らせてもらってもいいですか?」

「ああ、いいよ。それにしてもよく小麦ってわかったね」

お許しを得たので、刈り入れの終わった畑の脇にこぼれている落穂を一つ拾わせてもらいました。

やはりこれも小麦ということでした



「これは何という小麦ですか?」

「いや~、何ていうたかの~。全部農協が引き取ってくれるっていうから、今年やってみたがよ。農協の人に聞いてみてくれろ」

「はぁッ?」

ちょっと私の思いとは違っていたのは、残念でもありました。(笑!

梅雨時期に収穫が重なることも聞いてみたかったのですが、忙しくしておられたのでそれ以上は聞けませんでした。きっと米と同じように、コンバインで収穫した後に乾燥機にかけるから、少しぐらい濡れていても差し支えないのかもしれませんね。

そこで一句、川柳で決めてみましょう。


現代は機械が決める麦の秋




◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ




  


2016年06月12日

梅雨と麦秋


立ち葵の季節感を狂わせたのではないかと指摘した麦畑ですが、未だに刈り入れされていないのが気になったので、様子を見に行ってきました。

小麦.jpg


何とこれは小麦ではありませんか。小麦の特徴である猫じゃらしのような穂先が見て取れますね。

以前撮っておいた大麦の写真と比べると、同じ麦でも大・小の違いがよく分かります。

大麦.jpg


大麦の方は穂先から延びるピント張った長いヒゲが特徴です。私は猫じゃらしが小麦、長いヒゲが大麦と覚えるようにしています。


米どころ当地北陸富山でも、国の転作を奨励する政策により、最近は米に替えて麦や大豆が植えられるようになりました。

当地は例年梅雨明けが遅く、梅雨入り前に刈り入れができる大麦こそ近年盛んに植えられるようになりましたが、大麦より約1か月収穫が遅れる小麦は、収穫期がちょうど梅雨の時期に重なり、北陸には適さない作物といわれています。

梅雨入りが近いというのに(当地では今日6月12日現在まだ梅雨入り宣言がされておりません)、麦畑がまだ刈り入れされていなかったのは、立ち葵を惑わそうとしたのではなく、梅雨空を気にしながら必死で実が熟するのを待っていたというわけ。


いま少し 晴れ間続けや 麦待てり




◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ


  


2016年05月02日

八十八夜


昨日5月1日は立春より数えて88日目にあたる「八十八夜」。

八十八夜といえば、日本人なら誰しもこの歌が口をついて出て来るでしょう。


夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る

あれに見えるは茶摘みじやないか
あかねだすきに菅(すげ)の笠


古来より八十八夜に摘んだ茶は上等なものとされているのだとか。また、この日にお茶を飲むと長生きするともいわれているのだそうです。

全国有数の抹茶の産地として知られる愛知県西尾市で1日、八十八夜恒例の「新茶の茶摘みセレモニー」があったという話題。

ウエブトピックスより、
八十八夜に新茶の茶摘み 愛知・西尾でセレモニー

同時に配信されている写真をアップにしてみると、なんと茶畑一面を遮光ネットが覆っているではありませんか。

一番茶の収穫前に20日ほど遮光ネットで覆うことで渋みが抑えられ、お茶の味がまろやかになるんだとは知りませんでした。

「茶摘み」の歌は、日本の初夏の山里の風景を詠んだものですが、昔なら里から望めた茶を摘む乙女の姿も、現代では見ることができないというのは、なんともさみしい限りですね。


それでも茶葉を摘む乙女の出で立ちは、歌にあるように昔と同じ紺がすりに茜色のたすき。

菅の傘は被っていないのは、遮光ネットが陽光を遮っているから必要ないのでしょうか?

それでも日本手拭いを姉さん被りにしている姿は、若き乙女のたしなみというものでしょう。「色の白さは七難を隠す」と言いますからね。(笑!


日和(ひより)つづきの今日このごろを
心のどかに摘みつつ歌ふ

摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
摘まにゃ日本の茶にならぬ


「八十八夜」を一日過ぎてしまいましたが、今日はコーヒーではなく日本茶をいただくとしましょうか。





◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ



  


2016年04月16日

擬態語が好きな日本人


TBS系列のテレビバラエティー番組「ニッポンの出番ですよ」は、外国人から見た日本の文化と日本人の思考について分かりやすく教えてくれる優れた番組です。

以前この番組では、日本人ほど擬態語を数多く使い分ける民族はいないということを取り上げていました。

たとえば食べ物の食感を「サクサク」とか「フワフワ」、あるいは「プリンプリン」などと表現されても、外国人にはそれがどう違うのかまったく理解できない。欧米にはそのような食感を表す擬態語がないということでした。

「シャキシャキ」「アツアツ」「トロトロ」「カリカリ」「モッチモチ」・・・食感を表現する擬態語などいくらでも出てきますね。これらの言葉が食べ物のどんな状態を指しているのか日本人には説明するまでもありませんが、外国人にはまったく意味が分からないというのです。

欧米にもスナック菓子があると思うのですが、湿気ってしまったクッキーなど美味しくないのは同じだろうと思うのですがね。焼き立てのクッキーを食べたとき、彼らはその美味しさをどう表現するのだろう?


突然ですが、鉛筆の芯の先が尖った状態のことをを皆さんはどのように表現しますか?

以前当地の地方紙が金沢大学の人間社会研究域の日本語学が専門の加藤和夫教授が行ったおもしろい調査について報じていました。加藤教授が学生らとともにJR北陸本線沿線の各駅で、世代別に鉛筆の芯の先が尖った状態のことをどのように表現するのか調べたところ、


石川県では「ケンケン」もしくは「ピンピン」、福井県では「ツンツン」と表現するのだそうです。

身近なものの表現の仕方なのに、同じ北陸でもこうも違うものかと驚きました。富山県西部の地方都市高岡市に住む私としては、お隣の石川県金沢市へは車で1時間もかからずに行けるのですが、「ケンケン」「ピンピン」などと言われても何のことかさっぱり見当もつきませんね。

鉛筆を持ちながら福井県流に「ツンツン」と言われれば、かろうじて尖っていることを言っているようだと分かるかもしれませんが・・・。



では、富山県ではどう言うか?

「ツクツク」と言います。いかにも尖っている様子を上手く表現していると思いませんか?

小学校に上がったばかりのころ、学校の先生がこう言ったことを今でもはっきり思い出すことができます。

「明日の国語の時間は、書き方の練習をしますから、鉛筆の先を"ツックツク"に削ってこられぇ~。」

私たちは何の違和感もなく先生の言われるままに、鉛筆の先を「ツックツク」にして行きましたね。実に素直な良い子だったものです。(笑!

ちなみに終わりの「・・・削ってこられぇ~」は、「・・・削って来なさい」という意味です。


お気づきかと思いますが、「ツクツク」より「ツックツク」の方がより尖った状態を強調しているようです。もっと尖った状態を表現したければ、「ツックンツクン」という言い方もあります。(笑!

生鮮魚介類が豊富な富山県では、とりわけ鮮魚が新鮮な状態であることを「キトキト」と表現しますが、もっと鮮度を強調したいときには「キットキト」と言うのもこれと同じことでしょう。

蛇足ですが、富山県では空港まで「富山きときと空港」と改名してしまうくらいですから、富山県民がいかに「キトキト」という言葉が好きか知れようというものです。(苦笑!


さて加藤先生に言わせれば、「ケンケン」も「ツンツン」も「ツクツク」も標準語ではないということだそうです。残念ながら肝心のその標準語については言及されていませんでした。鉛筆の芯の先が尖った状態のことを標準語では何と言うのだろう?

あなたの地方では、鉛筆の芯の先が尖った状態を何んと表現しますか?







◆酒そば本舗トップページへ◆


**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ

  


2016年02月29日

「春眠不覚暁」


お奨めの一冊
「旧暦はくらしの羅針盤」 (小林 弦彦著 日本放送出版協会)




昔日本では、時間が伸びたり縮んだりしたんです!

えっ!? そんなバカな??・・・、江戸時代の話でしょ?そんな昔に、日本にもアインシュタインのような天才がいたんですか?


ご存知アインシュタイン博士による相対性理論。絶対に変らぬものは光の速度だけで、時間は伸びたり縮んだりする。空間でさえ歪む。

まったく、理解不能な理論なんですがね。


江戸時代の時間の単位は、読んで字のごとく「時」(とき)。この「時」(とき)が、実は伸びたり縮んだりしたのです。

昔の人は、日の出とともに起き、日が沈むと活動をやめた。何しろ電気などというものがありませんからね。日が暮れたら、することといったら、だいたい寝るだけと言った方がいい。

そこで昼と夜とをそれぞれ六等分し、一日を十二分割して干支を割り振って時間を数えた。

春分の日と秋分の日ならば、昼と夜の時間が同じだから、一時(いっとき)は今の時間だと2時間。ところが、夏至だと日照時間が長いから、昼の時(とき)は、2時間より長くなります。その逆に冬至は、昼の時(とき)が短くなり、夜の時(とき)が長くなるというわけ。

当時の人の活動時間を明け六つ(午前6時)から暮れ六つ(午後6時)までと考えると、冬至では10時間56分ですが、夏至では15時間52分となりますから、同じ一時(いっとき)でも、夏至と冬至では50分余りの違いが生じることになります。

「春眠不覚暁」は、中国盛唐期を代表する詩人孟浩然の有名な五言絶句「春暁」の歌い出しの句ですが、これは夜が長い冬の生活に慣れた体が、春になって夜明けが早くなったことに対応できないでいる様を巧みに詠んだものですね。


また日本には、「お江戸日本橋七つ立ち~、初上り~♪」という有名な歌があります。

これは江戸から京へ行くのに、日本橋を明け六つ(午前6時ころ)前の七つ(午前4時ころ)に出立したことを歌っていますね。ですから、そのあとの歌詞を見ると、

「こちゃ高輪、夜明けてぇ~、提灯消すぅ~♪」

日本橋を提灯の明かりを頼りに出立して、品川の手前の高輪あたりで夜が明けたと言っているのです。日本橋から高輪まで夜道を約2時間かけて歩いたのでしょう。

恥ずかしながら、「旧暦はくらしの羅針盤」を読んで、この歌の意味がようやく分かりました。





◆酒そば本舗トップページへ◆


**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ


  


2016年02月20日

月明蕎麦花如雪


一昨日は唐代の三大詩人は、いずれ劣らぬ大酒飲みであったという話題を取り上げました。李白、杜甫、白楽天、三人共に数多くの酒の詩を残しているとか。その酒の詩から三人の酒の飲み方がわかるというのですから、興味深いですね。

そこで今日は、私の好きな漢詩を紹介させてください。少量の酒で陶然と酔うことが出来たという白楽天が蕎麦の花を詠んだ詩。私の知る限り、李白と杜甫には蕎麦を読み込んだ詩は見当たらないようです。しかし、これは私の乏しい知識のことですから、きっとあるに違いないと思っています。後世に名を残した大天才といわれた詩人が蕎麦を題材にした詩を残さないわけがないと思うのです。一度調べてみなければ・・・。

白楽天は月明に照らされた蕎麦の花をどのような気持ちで眺めたのでしょうか?


  月 独 村 霜
  明 出 南 草
  蕎 門 村 蒼  
  麦 前 北 蒼
  花 望 行 蟲  
  如 野 人 切
  雪 田 絶 切



  
最後の節は、
「月明らかにして蕎麦(きょうばく)の花雪の如し」
と読むんだそうです。
「きょうばく」の響きが、何とも心地よいですね。

この詩は、唐代の白楽天が長安より故郷に帰ったとき(811年)の作と伝えられています。
白楽天といえども人の子、郷里に帰った安心感・安堵感が行間にうかがえますね。その一方で、都での志が叶わぬままに郷里にもどった失望感が、詠わせた詩だともとれます。

今をさかのぼること1200年、白楽天は月明に照らされた蕎麦の花をどのような気持ちで眺めたのでしょうか?





◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ

  


2016年02月08日

神(かむ)からならし


今日はこれが北陸の冬とは思えないほどの天候に恵まれました。一点の曇りもなく北アルプス立山連峰をこのように仰ぐことが出来るのも、一冬にそうそうあることではありません。早速携帯でパチリ。

NO1.jpg


アップにすると一段と迫力がありますね。立山連峰が里に押し迫って来るかのように写ります。

NO1_up.jpg


その美しさ、神々しさの所以を古の歌人は「神(かむ)からならし」と詠んだのも、何となく分かるような気がしてくるではありませんか。




◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ

  


2016年01月05日

年明けうどん


突然ですが、皆さんは「年明けうどん」ってご存知ですか?

日本人なら「年越しそば」を知らぬ人はいないでしょうが、「年明けうどん」となるとご存じない人の方が多いのではないかと思います。


年明けうどんロゴ


さぬきうどんの本場、香川県の製麺業界が「年明けうどん」を提唱し始めて今年で早8回目の正月を迎えることになるそうですが、節分の「恵方巻き」の寿司のようにはなかなか全国には浸透できないでいるようです。

さぬきうどん振興協議会によれば、「年明けうどん」の定義は、『うどんは太くて長いことから、古来より長寿を祈る縁起ものとして食べられてきた。「年明けうどん」は、純白で清楚なうどんを年の初めに食べることにより、その年の人々の幸せを願うものである。「年明けうどん」は、元旦から1月15日までに食べるうどんのことで、赤い蒲鉾、海老の天ぷら、梅干、人参を入れたかき揚など、家庭で簡単に調理できる赤い食材をトッピングとして添えて食べる』となっているのだとか。


定義はどうであれ、よくよく考えてみると、年暮れにはさんざん年越しそばを食べろと腹いっぱいそばを食わせておいて、一晩寝て起きたら、今度はうどんを食べろとは、これほど麺屋に都合のいい手前勝手な話はありませんよね。

・・・手前勝手ついでに、もうひとつ付け加えさせてもらいたいと思います。

「年の瀬ラーメン」って、ご存知でしたか?


早い話が、年の瀬の12月も押し迫ったころから年明けにかけては、ラーメン食って、そば食って、うどんを食おうということ。餅なんぞ食べている暇はないんです。・・・餅屋さん、ごめんなさい。(笑!


そこで都々逸を一節

年の瀬にラーメンすすり、そばすすり、
明ければうどん めでたや正月
はじめつるつる(鶴鶴)、後はかめかめ(亀亀)

・・・お粗末でした。


今年一年、麺好きの皆様のご健康とご多幸をお祈りします。





◆酒そば本舗トップページへ◆


**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ

  


2015年12月01日

酒飲めば涙ながるるならはしの それも獨りの時にかぎれり


日が暮れて一人疲れた体を薄い布団に横たえるわびしさは格別なものがありますが、夕方一人さびしく食卓を囲むのも独り寝以上にわびしいものがありますね。その辛さから逃れるために傷心者はしばしば酒の力を借りることになるのですが、そうすればまあどうにか腹も満たし脳を麻痺させて眠りにつくことも出来るようではあります。

しかし、そんなことをせずとも鏡が1枚あればいいって、ご存知でしたか?


ウエブトピックスより
鏡見ながら食べると美味 名大研究、疑似的「共食」で

大学生と高齢者16人ずつを対象にポップコーンを食べさせて、鏡ありと鏡なしで実験をしたそうです。その結果は、「おいしい」「また食べたい」の評価が「鏡あり」の場合で明らかに高く、食べた量も多かった。しかも、大学生でも高齢者でも同じ傾向が確認されたということです。

研究者はこの結果を「他者と食べる『共食』環境を疑似的につくりだし、おいしさの感覚が刺激されているのではないか」と考えているとか。


・・・う~む、果たしてそうかな?

貴方はポップコーンを食べている自分の姿をまじまじと見たいですか?私ならポップコーンが酒であってもお断り願いたいですな。

美空ひばりは、酒を飲んでさえ断ち切れぬ未練を「飲んで棄てたい面影が♪ 飲めばグラスにまた浮かぶ♪」と歌い、この国の民を涙させましたが、鏡に映った醜い己の姿を見れば、酒を飲む気さえ失せてしまいそうです。ましてや、ポップコーンをや。

そもそもポップコーンなどというものは、鏡を見ながら一人ではなく、映画館でスクリーンを見ながら、隣の席のカップルに遠慮しつつ食べるものだろう。


「酒飲めば涙ながるるならはしの それも獨りの時にかぎれり」

かの若山牧水の歌を"疑似的「共食」"の研究者におくりたいものです。


さて、今宵も一人酒を飲みながら、鏡などではなく、内なる己を見つめ涙を流すとしましょうか。






◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ


  


2015年11月28日

月明蕎麦花如雪



今日は、私の好きな漢詩を紹介させてください。


   月 独 村 霜
   明 出 南 草
   蕎 門 村 蒼   
   麦 前 北 蒼
   花 望 行 蟲   
   如 野 人 切
   雪 田 絶 切


最後の節は、「月明らかにして蕎麦(きょうばく)の花雪の如し」と読むんだそうです。「きょうばく」の響きが、何とも心地よいですね。

この詩は、唐代の白楽天が長安より故郷に帰ったとき(811年)の作と伝えられています。白楽天といえども人の子、郷里に帰った安心感・安堵感が行間にうかがえますね。その一方で、都での志が叶わぬままに郷里にもどった失望感が、詠わせた詩だともとれます。

今をさかのぼること1200年、白楽天は月明に照らされた蕎麦の花をどのような気持ちで眺めたのでしょうか?






◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ

  


2015年08月18日

蛭(ヒル)まで歌に詠む日本人の感性


歌人小池光氏の著した「うたの動物記」より、夏の俳句を一句ご紹介します。こんな動物まで歌に詠んでしまう民族は日本人の他にいないのではないかと思えてきます。



本日取り上げる動物は、「蛭(ヒル)」。体を尺取虫のようにくねくね折り曲げて移動し、動物に吸い付いて血を吸うあのヒルである。


私らが子供のころは、農作業は今のように機械化されていなく、何事も文字通り手作業が主でした。農家の方は、つらい農作業もさることながら、水田に生息するヒルにも大変悩まされたことでした。それも農薬の普及により、今ではヒルを見ることもめったになくなりましたね。

血を吸われるのは蚊でさえもごめんこうむりたいのに、ぬめりのある体をくねくね折り曲げるように動き回り、蚊の何十倍もの口で吸い付くのですから、けっして気持ちのいい動物とはいえませんよね。

ところがこの嫌われものヒルは、有史以来人間と関わりが深かったというのですから驚きです。

「古事記の国生み神話では、女性であるイザナミノミコトが先に愛を告白してしまったがために『蛭子』が生まれ、これを葦船に入れて流してしまう。物語のはじまりから、忌み嫌われてきた」と書かれているところをみれば、ヒルは神代の昔から生息していて、恐れ多くもご神体に吸い付くこともあったのだろう。



小池先生が本著で紹介している歌から、

我妹子(わぎもこ)が蛭の血を拭く蕗葉(ふきは)かな  松浦青々


もはやヒルの不気味さは微塵も感じさせませんね。我妹子の白いふくらはぎ、赤い鮮血、フキの葉の青、妖艶な美女のなまめかしさを演出するヒルです。

日本人の感性の豊かさが感じ取れる味わい深い一句と言えましょう。


ちなみにヒルは夏の季語であるということです。





◆酒そば本舗トップページへ◆


**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ

  


2015年08月07日

鳴くはずもない動物の鳴き声


犬はワンワン、猫ならニャーニャー、馬ならヒヒーン。身近な動物の鳴き声なら知らぬ人はいませんね。ではタニシはどう鳴くかご存知か?

タニシって川に生息する巻貝のタニシです。私らが子どものころは、田んぼにもごろごろいましたね。そのタニシなんですが、タニシが鳴いたって話、未だかって聞いたことはありませんが。


「うたの動物記」(小池 光 著)より、俳句や短歌の世界では鳴くはずのない動物が鳴くという話題。




ではタニシはどう鳴くのか?

松山中学校教師時代、しきりに子規に句稿を送って批評を乞うていた漱石の句。

よく聞けば田螺(タニシ)鳴くなり鍋の中


永井荷風はこう詠んでいます。

しのび音も泥の中なる田螺哉


圧巻は北原白秋

かはづの啼くはころころ、田螺(タニシ)の啼くはころろよ
ころころ、ころろ、ころころ
萌え来(こ)よ、春の下(した)ん田(だ)

なんとタニシは、「ころろ」と鳴くのであった。


ちなみに「田螺鳴く」は春の季語。同じく「亀鳴く」も春の季語。「蚯蚓(ミミズ)鳴く」なら秋の季語。鳴かないものが鳴く三大季語なのだそうです。






◆酒そば本舗トップページへ◆


**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ

  


2015年07月14日

黄金虫と水飴


お奨めの一冊、「うたの動物記」(小池 光 著)より、



今日話題にする動物は、コガネムシ。
コガネムシを知らない人はまずいないでしょう。ポピュラーな虫ですよね。こんな歌い出しの童謡でも広く知られています。


こがねむしぃ~は、かねもちだ~♪
かねぐらたぁ~てた、くらたてた~♪

七五調のテンポのいいリズムで覚えやすかった歌詞は、今でも忘れることがありません。

誰もが一度は口ずさんだことのある童謡「黄金むし」。この歌の作詞者が、野口雨情だとは知りませんでした。



子供ごころにも金持ちになれれば蔵を建てて、金をたくさんしまっておけるのだなと思ったものでした。でも飴屋で水飴を買ってきて、子供に舐めさせてくれるくらいなら、大した金持ちじゃないじゃないかと、後半の「子供に水飴なめさせた」のところが不満でしたね。(笑!

小池先生も「黄金虫だから金持ちというのはわかるし、金蔵建てるのもわかる。でもその金持ちが飴屋で水飴買うというところがなんとも謎だ」と記しておられます。

「それにしても水飴をなめる黄金虫の子供とはかわいらしい。どんな顔してなめるのやら。水飴あまいかい、うん、とってもあまいよ・・・」

小池先生は、黄金虫の歌から父子の情を連想されたのでしたが、私は金持ちの商家の旦那が近所の子供に水飴を買い与えている風景を思い描いていた。しかも、水飴くらいしか舐めさせてくれないのか、もう少しましなもの配ったらどうなんだという下心みえみえ。(笑!

あぁ~、歌人にならなくてよかったというか、なれるはずもない己の貧相な感性に失望することしきり・・・。


黄金むしは金持ちだ
金蔵建てた蔵建てた
飴屋で水飴買ってきた

黄金むしは金持ちだ
金蔵建てた蔵建てた
子供に水飴なめさせた


野口雨情作詞、中山晋平作曲の童謡「黄金むし」でした。






◆酒そば本舗トップページへ◆


**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ


  


2015年05月05日

焼き接ぎ屋 夫婦喧嘩の角に立ち


お奨めの一冊「江戸川柳で現代を読む」から、 当時の江戸は世界に類を見ないリサイクル都市であったことを見てまいりました。

古着や傘はもちろん、修理のできない鍋釜、ちり紙、障子の破れ紙、かまどの灰まで、ありとあらゆるものを取っておけば、専門の業者が長屋を巡ってきてはそれらを回収し、いくらかの代金を払ってくれた。

長屋の共同トイレの糞尿は、貴重な有機肥料として高く売れた。そのことを羨んで長屋の住民が詠んだ川柳は秀逸の一語につきますね。

これに関連して、物質文明にどっぷりと浸かった現代には見られぬ"心豊かな生活ぶり"を窺い知ることが出来るこんな江戸川柳を一首、「お江戸でござる」(杉浦日向子著 新潮社)からご紹介したいと思います。


【送料無料】お江戸でござる [ 杉浦日向子 ]

【送料無料】お江戸でござる [ 杉浦日向子 ]価格:515円(税込、送料込)




焼き接ぎ屋 夫婦喧嘩の角に立ち


茶碗が割れたからといって、捨ててしまうのが現代人。ところが、江戸人は、しっかり取っておいて「焼き接ぎ屋」がやって来るのを待つのです。

おそらくこんなやり取りが長屋の辻で交わされたのでしょうね。


「割れ物は、ないかぇ~、焼き接ぎ屋でござぁ~い」

「ちょいと、この茶碗接いでおくれっ!」

「あいよ、ただいま。・・・それにしても、御かみさん、派手にやりやしたねぇ~」

「そうとも、ったく、うちの宿六ときたら。・・・イヤだねぇ~、何を言わせるんだい」



白玉粉と呼ばれた粉(今でいう水酸化カルシウム)にフノリと粘土を加えたもので、割れた瀬戸物を接着して、熱を加えて焼き接ぎ、元どおりに修正してくれるのが、「焼き接ぎ屋」さんというわけ。

商売上手の「焼き接ぎ屋」は、夫婦喧嘩のあとにやって来たというのが、先にあげた川柳だったのです。


なるほど、感性豊かな江戸人の生活は、『ゆ・た・か』に相違ありません。

私も叶うことならば、そんな長屋の角に立って、住人の様子を窺ってみたいものです・・・。





◆酒そば本舗トップページへ◆


**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ

  


2015年04月25日

桜の花と梨の花


日本ではただ単に花と言えば桜の花を指すくらいですから、桜ほどもてはやされる花はありません。南北に細長い日本列島では、今なら北海道で見ごろを迎えているころですか?

当地北陸富山では、すっかり花を落とし葉桜の赴きも忙しい人の記憶にはすでにありません。今のこの時期桜に変わって人の目を楽しませるのは、梨の花。

ウエブトピックスより
富山)白い花のじゅうたん広がる 呉羽ナシの産地


梨の産地富山市呉羽(くれは)丘陵では今が梨の花の盛り。トピックスは、生産者は花の受粉作業に追われていると伝えています。
ちなみに富山県では北アルプスの山麓から富山平野に突き出た呉羽丘陵を境に、東側を呉東(ごとう)地方、西側を呉西(ごせい)地方と呼んで区別しています。


さて私は今、同時に配信されている咲き誇る梨の花の写真を見ながら、平安の御世には、梨の花は趣に欠ける花の代表のように言われていたと、高校の古文の時間に習ったことを思い出しています。

枕草子の何段目だったでしょうか。清少納言は「木の花は濃きも薄きも紅梅」と真っ先に書いて、梅を絶賛していたはずですね。この段では桜には一切触れていませんが、桜は言うに及ばずということなのでしょう。

梨の花はというと、「梨の花、世にすさまじきものにして近うもてなさず、はかなき文つけなどだにせず」と散々です。(「すさまじ」という形容詞の意味を問う問題がよく出たものですな・・・苦笑!)

しかし、清少納言の非凡さは、後に続く中国での梨の花の評価を白楽天の長恨歌をひいて、「梨花一枝春雨を帯びたり」というくらいだから、楊貴妃の美しさに喩えるほどに梨の花は美しいと言っているところにあると、古文の先生は熱く語ったのでした。

・・・ほぉ~、そんなものかな。確かに品種改良された"幸水"なり"豊水"なりの呉羽ナシは、みずみずしくて美味いけどな、などとピントの外れたことを連想していたデキの悪い少年も、今では「白髪三千丈」を持て余す歳になったことに驚きを隠せません。




◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ


  


2015年04月08日

モクレンPART14


日本人ならこの季節どうしても気にかかるのが桜の開の咲き具合。
「どれ、もう開いたろうか?」とか、「まだか、でもこの暖かさなら、明日は開くだろう」とか。咲けば咲いたで、「やれ、雨が降ってきた。雨に打たれなければいいが」だとか、「・・・もう散り始めた」とか、とかく人の気をそぞろにしてしまうのがサ・ク・ラ。


当地北陸富山では、桜は今が満開。

桜.jpg


我が家の直ぐ向いにある小学校の校庭は、昨夜来の生憎の雨にも関わらずピンク色に染まっています。
しかしながら私の精神状態は、昨夜来の雨にまさしく「やれ、雨が降ってきた。雨に打たれなければいいが・・・」状態です。(笑!


さて実をいうと同じくこの時期、私にはもうひとつ気にしている花があるのです。それがこれ。拙宅の前庭に植えられたモクレンの幼木。

モクレン.jpg


毎年桜と相前後して開花するのがこの白モクレン。早い年もあれば遅れる年もある。どうでしょう、今年はモクレンの方が少し早かったか?

毎朝家を出るとき目にとまるこの幼木の蕾が白く膨らみ出すと、「ああ、また一年が経ったのか」という感慨が胸に広がって来る。

このモクレンの幼木が花をつけているのに気づいたのが2007年の春のことでした。以来ずっと、私にとってモクレンの花は、もしかしたら桜より気にかかる花となったのかも知れません。

拙い俳句や短歌を披露してきたモクレンは、今年でもうPART14になりました。おもだったものをピックアップしてみましたので、ご一読いただければ幸です。


PART11
モクレンの重き根雪に耐えてこそ 春の日差しの輝きぞ増す

PART10
ひさかたの天(あめ)の巡らす雨風を いかにおもふて咲くやモクレン

PART9
きもむかふ 心いためしかの日より ひととせ過ぎぬ 庭のモクレン

PART8
天声はいかに聞こえん白木蓮

PART7
鎮魂の祈り託せや白木蓮

PART5
籠も重き洗濯物を干す妻の まくりし腕に陽光の射す

PART4
モクレンの枝は太きや水足るや

PART2
モクレンの息子に似たり細き枝



    


◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ


  


2015年04月01日

22秒の痕跡 PART2


ウエブトピックスより
地球が征服される恐れ…宇宙人にメッセージ送るな! 米で大論争

欧米には「覆水盆に返らず」という諺がないのだろうか?地球人はこれまで十分すぎるほどメッセージを送り続けて来たと思うのですが・・・。すなわち地球と地球を取り巻く極小範囲での宇宙空間での人類の活動自身がメッセージであると。

宇宙から返信がないのは、メッセージが届いていないか、届いていてもそれがメッセージであることを理解できないかだけのことではないか?

しかし、まあ、川面に遊ぶ魚の群れが発てた水音に気付いたサギは、その存在を魚に知らせるわけがないではないかと言われれば、その通りかなとも思いますが。

でも仮に宇宙人がいたとして、その性根が侵略的であったとしても、宇宙空間はそれを歯牙にもかけぬくらいに十分過ぎるほどに大きいことは、論争の当事者である天文学者や物理学者に分からないはずがないと思うのですが。

だって、人類の一時なんて宇宙からみればほんの22秒に過ぎないと、昨日知ったばかりですもの。

そんな彼らに、私は日本の天才詩人の手になる詩をメッセージとして送りたいと思うのです。谷川俊太郎若干18歳のときに書いた詩だということを添えて。


二十億光年の孤独   谷川俊太郎
 
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
 
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
 
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
 
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
 
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
 
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした





◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ


  


2015年03月05日

「線路はつづくよ どこまでも」 PART3


線路はつづくよ~♪ どこまでも~♪
野をこえ 山こえ~♪ 谷こえて~♪

日本人なら誰しも口ずさんだことのある歌、「線路はつづくよどこまでも」は、アメリカの西部開拓時代に大陸横断鉄道の建設に従事した工夫たちが歌った哀歌だそうですが、日本ではなぜか

「はるかな町まで ぼくたちの たのしい旅の夢 つないでる」

と歌われ、明るい希望を紡いでくれる歌になっているようです。

多くの鉄道ファンが鉄道のとりこになるのは、まさに「この線路は、明るい未来につながっている」、「僕たちの夢をつないでくれている」という思いを抱かせてくれるからに違いありません。


苦節50年、石川・富山両県民が待ちに待った北陸新幹線があと10日あまりで開業となります。金沢ー東京間を2時間半、富山ー東京間を2時間で結ぶ特急「かがやき号」は、文字どおり「明るい未来」を紡いでくれるにふさわしい名前を冠したと言えましょう。

その輝かしい一番列車の運転クルーがJRから発表されたという話題。

ウエブトピックスより
「鉄道人生最大のイベント」 北陸新幹線運転士と車掌が意気込み

同時に配信されている写真には、W7系の新車両をバックに運転士と車掌がきりりと敬礼をしているりりしい姿が写っています。このお二人ならきっと大役を無事遂行されるに違いないと確信します。


3月14日金沢始発の一番列車は「かがやき500号」となるそうですね。そうすると上りの"かがやき"は500番代の偶数番がつくのだな。

一番列車の指定席券は25秒で完売されたという異常人気ぶりだとか。当然のことながら上越新幹線越後湯沢駅経由の在来線特急「はくたか」号は、3月13日で廃止になりますが、こちらの方も"かがやき"以上に人気だそうです。

3月13日の在来線"はくたか"(文字どおり最後となる)最終列車で金沢へ来て一泊、翌日の新幹線一番列車"かがやき"で東京へ戻るという最後と最初をセットで味わおうという鉄道ファンが、25秒の熾烈な戦いを展開したということです。


私は富山県高岡市に在住しておりますから、もっぱら新高岡駅を利用することになりますが、"かがやき"が停車しないのは、返す返すも残念です。でもその分"つるぎ"や"はくたか"に乗れると思えば腹も立ちません。こうなったら、長野で一旦降りて"あさま"に乗り換えて東京へ行ってやろうかしらん。(笑!

北陸新幹線"つるぎ"、"はくたか"、"あさま"乗り継ぎの旅というのもなかなか乙なものではありませんか。



線路はうたうよ いつまでも
列車のひびきを 追いかけて

リズムにあわせて ぼくたちも
たのしい旅の歌 うたおうよ


北陸新幹線の開業が待たれます。




◆酒そば本舗トップページへ◆


**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ

  


2015年02月06日

山は里から崇め見るもの


どうして山に登るのかと問われ、そこに山があるからだと答えた有名な登山家がいましたね。私の知識に間違いがなければ、この登山家はエベレストで命を失ったはずです。

当地富山県は、読んで字のごとく山に富んだ県ですから、さぞかし山登りを楽しんでいることと思われるでしょうが、こと私に関していえば、登山の経験は小学校6年の夏に学校の行事で立山に登った1回きりです。どちらかといえば山登り、山歩きは、それがハイキングレベルであっても、あまり好きではありません。

それは物心ついたころより繰り返し聞かされてきた冬山での遭難のニュース。猛吹雪のため捜索が難航しているというコメント、安否を気遣う家族の映像・・・、「冬山 → 遭難」のトラウマがしっかり植え込まれてしまったようです。

冬に立山連邦を見れるのは珍しい


古の歌人が、その崇高さを神が宿っているからだと詠んだように、私としても里から厳かに山を崇めるだけにしておきたいものだと思っているのです。


立山に降り置ける雪を常夏に見れども飽かず神からならし(大伴家持)




◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ


  


2014年12月20日

12月20日の記事


久しぶりに小保方さん一色にそまった感のある昨日の報道でした。

ウエブニュースより
STAP細胞:再現できず…「理研は事実上さじ投げた」

ちゃぶ台をひっくり返すようなことをしておいてさじを投げたとは、これ如何に?・・・ヤブ医者じゃあるまいに。


ご本人はご自身がなさった検証実験の結果に困惑なさっているとか。「それでもSTAP細胞はありま~す」と考えていらっしゃるようだという報道もありましたが・・・。20日付けで退職願いを提出し、理研はこれを受理したそうですね。・・・残念!


そこで一句

さじ投げて脱ぐや疑惑の割烹着





◆酒そば本舗トップページへ◆

**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ



  


2014年12月03日

紅ズワイと本ズワイ


冬の日本海の味覚ズワイガニ漁が11月初旬に解禁され、今年は水揚げが順調と報じられています。このズワイガニ、山陰地方では松葉ガニ、福井では越前ガニと呼ばれていますが、当地富山でもこの時期県内の漁港で盛んに水揚げされます。当地ではこのズワイガニのことを本ズワイと呼んでいます。どうして本ズワイと頭に「本」をつけるかというと、それは紅ズワイというカニとあえて区別するために必要なのです。

ご存知のようにズワイガニは高級食材。1ぱい(・・・当地ではカニを1ぱい2はいと数えます)1万円近くにもなることもある本ズワイですが、やはり同じ時期に多く獲れる紅ズワイカニなら庶民の手にも入りやすい価格で流通しています。

というわけで、私はもっぱら紅ズワイのお世話になっています。(苦笑!
本ズワイともなるととても手も足も出ないというわけです。・・・カニには10本も足があるというのに。(笑!

紅ズワイは本ズワイと比べるとずっと小ぶりで、身に水分が多く含んでいて、別名水ガニとも呼ばれていますが、脱皮前の身のしっかり詰まったものは、本ズワイに負けず劣らず美味です。これからの季節ちょっとした宴席や仕出しには、酢のものとして必ずといっていいほどに紅ズワイが使われていますね。

当地でも漁協の協力で、小学校の給食にゆでカニがまるまる一ぱい出され、生徒がカニ足と格闘する様がテレビで報道されておりました。(当然のことながら、このカニは紅ズワイの方です・・・笑!)

本ズワイガニも小ぶりの雌の方なら幾分買い求め易いので一冬に数回口にすることがあります。茹で上がったカニの甲羅を開くとびっしり赤い卵巣が詰まっており、この卵巣食べたさにあえて雌カニを望む食通も多くいると聞きます。

福井では雌のズワイカニのことをゼイコガニと呼ぶそうですが、当地ではコウバコカニ、コウワクガニと言いますね。


今冬は本ズワイを食べれる機会が、はたしてあるのやら、ないのやら・・・。


そこで一句

残りたる足を惜しみつカニ喰らう




◆酒そば本舗トップページへ◆


**貴方の共感できる生き方がきっとある**
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ